よしじま いなり じんじゃ
吉島稲生神社
  中区吉島西に鎮座している「吉島稲生神社」です。
1945(昭和20)年8月6日被爆当時、吉島稲生神社の社務所は(今は残っていない樹木たちも含めた)境内の樹木に守られ(爆心地から2,160mと少しばかり離れていた)ため、倒壊を免れ、ここで被爆によって焼け出された人々の治療が行われました。と広島市の公開資料にあります。
吉島稲生神社の由来 御祭神:
宇迦之御魂神 (素戔鳴尊の御子)
大歳神 (素戔鳴尊の御子)
吉島稲生神社は、1787(天明7)年3月、空鞘稲生神社の分祀としてこの吉島の地に建立されました。
その昔、浅野藩は藩の安泰を計るための守護神とされたもので、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の祈願で庶民に親しまれたお社です。
2006(平成18)年6月16日新聞報道でここ吉島稲生神社に被爆樹木が残っていることでこの神社を知ったのです。
新聞には吉島稲荷(いなり)神社とわざわざ振り仮名をふっていましたが、訪れてみた神社設置の由来版には、吉島稲生神社とありました。
(広島)市内で稲生神社、稲荷神社がそれぞれ鎮座しています。由来版では稲荷と記述しているが神社銘版石碑をみると稲生と刻まれたりしていたりと、非識字の人たちが多かった時代は“いなり”という漢字表記にはそう神経質になっていなかったのかも知れないとわたしは思ったのですが。
2019年久しぶりに参拝しましたので、撮影していました。
19.12.22.更新   06.07.26裕・記編集

06.07.15.撮影
広島市中区吉島西1-8-6

06.07.15.撮影
社殿 と 社務所

06.07.15.撮影
本殿 と 拝殿

19.06.25.撮影
久しぶりに参拝した吉島稲生神社

19.06.25.撮影
吉島稲生神社 神社の由来・碑

19.06.25.撮影

19.06.25.撮影
吉島稲生神社修復記念・碑 (1980年建立) 昭和五十五年三月吉日 世話人一同 

19.06.25.撮影
本殿:一間社流造り 屋根・銅板葺き

19.06.25.撮影

19.06.25.撮影



「神社寺院など」編



広島ぶらり散歩へ
吉島稲生神社
(吉島稲生神社)被爆樹木(概説)
被爆ヤブツバキ
  被爆クロガネモチ
  被爆クスノキ
被爆エノキ
被爆クロマツ
(境内建立)武運長久・碑


吉島編


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