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中区吉島西の吉島稲生神社に建立されている「武運長久・碑」です。 |
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昭和十九年三月吉日
梅野五郎之建 |
※昭和19年=1944年 |
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武運長久(ぶうんちょうきゅう) |
武人としての命運が長く続くこと。また、出征した兵がいつまでも無事なこと。
「武運」は戦いにおける勝敗の運。また、武人としての命運。 |
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この碑が建立された1944年は、戦況既に日本に利あらず敗戦へと向かっていた折りだったそのようなときに建立された碑ですが、両側に「和平」「協力」と刻まれた文字をみて建立者の深い思いが込められていたのではとわたしは思いましたが。 |
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2006年ここ吉島稲生神社の被爆樹木をみに来た時、境内にはいった処でみた砲弾を(長めに)模した石碑でしたので撮影していました。
2014年のいまになりましたが、2011年に撮影した画像と共にこの頁を編集しました。 |
14.09.18.裕・記編集 |
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