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中区富士見町の平和大通り緑地帯にお祀りされている「竹屋地蔵尊」です。
*お堂の左側に宇品道の道標が再建されています(別頁に分離しました)。 |
1945(昭和20)年8月6日、原爆が投下されるまでは竹屋橋近くに鎮座されていたそうですが、現在はここ富士見町の平和大通り緑地帯に移され鎮座されています。
坐像の地蔵尊は40cmで、左右の花筒には[文化十二(1815)年己丑二月」「新久屋長三郎奉納」とあり、右側の石柱「賽錢箱 明治四十(1907)年旧八月」と読めます。
竹屋地蔵は「夜泣き地蔵」とも呼ばれ、子どもの夜泣きをなおすことからそう呼ばれるようになったそうです。 |
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この竹屋地蔵尊を北端tとして南への通りを「じぞう通り」と呼びます。
八丁堀から御幸橋の方に向かって南に流れていた平田屋川(広島築城時運河の役目をした)が、1955(昭和30)年頃に南竹屋町の富士見橋附近まで埋め立てられたので、そこが一本の通りとなりました。
1987(昭和62)年地元商店主立ちが通りの名称を公募し「じぞう通り」と命名されたそうです。 |
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この歳になってわたしは思っています。身に備わっていない信心という心は、幼いときから少しづつ育てていくことが必要だったのかなと、この竹屋地蔵尊の前で、心を込めて頭を垂れはしていなかったのではないかと、鎮座されているお地蔵様首が折れるという原爆の惨禍に遭遇されていることにはじめて気がついたのです。 |
2015年平和大通りに建立の原爆関連慰霊碑を巡っている時、この竹屋地蔵尊にもお参りしましたので、撮影しました。この頁に一緒に編集していた。この地蔵堂横に移設されている道標を独立した別頁にしました。 |
通り過ぎているだけでしたが2018年立寄りお参りした後、一休みして撮影しました。 |
19.12.10.更新 15..04.22.再編集 06.09.27裕・編集 |