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東区矢賀に建てられている「城谷山・覚法寺」です。
※覚法寺本堂・庫裡は爆心地から3,960mで被爆した建物です。
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覚法寺は、もとは真言宗でしたが、1597(慶長2年僧・宗清が浄土真宗に改宗し)城谷山覚法寺の寺号許可えおうけて、浄土真宗本願寺派に属し今日に至っています。
矢賀村の時代は村民のほとんどがこのお寺の門徒であったと伝わっています。
本堂は木造で竣工時期は1776(安永5)年といわれています。1983(昭和58)年本堂、山門の改修が行われました。 |
資料を見ていたら被爆建物として紹介がありました。
1945(昭和20)年8月6日原爆の爆風で建物が傾き天井や建具が落ちたそうで、被爆直後市内中心部から避難し生命つきた人たちの遺体を境内で荼毘に付したそうです。 |
爆心地から≒3,960m (被爆当時町名)矢賀町 |
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※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 |
わたしは資料をみて、JR矢賀駅から歩いて訪ねました、地図の見方が悪いというか幸いしたというか本堂裏の墓苑からもお寺を拝見しました。木鼻はバクでした。
2007年この頁を編集した時は被爆した建物と云う事を知り訪ねたのです。浄土真宗のお寺と云うことしかわかりませんでしたが、向少し由来がわかりましたので追記しました。 |
12.07.05更新 07.03.19裕・記編集 |