高照神社・跡

  西区田方に過って鎮座していた高照神社でしたが、社殿が焼失し「高照神社・跡」になっています。
※平成15(2003)年6月8日不審火により焼失したそうです。
行者山にあった高照神社の創建はさだかではありませんが、明治のはじめごろと云われています。(四国出身の漁師)高津平兵衛が高照稲荷を行者山に勧請し、一時は遠近からの多くの参詣者でにぎわったそうです。
神殿は1間×1.5間で、拝殿は2間×4間。再建の棟上札は澁谷安芸守となっていました。
のち高津平兵衛が大門に遷したので、俗に「大門稲荷」と呼び、草津の夏祭りとして名物になっていましたが、次第に衰微し、城山(草津城跡がある続きの山、今は線路によって離されている)が転売されて立ち退かざるを得なくなりました。高津平兵衛が社殿を大門に遷した時「たとえ社殿は移すとも俺は遷らぬ」とお告げがあったと伝えられています。
高照稲荷社殿に残る絵馬札などが往年の隆盛を物語っていました。
高津平兵衛のあとは柳沢フミという女性が継ぎ、その後は木戸某が祭祀していましたが次第に衰微しました。その後(大門に遷した時のお告げ通り)信徒達によって再び行者山頂に栄え、往年の盛況ぶりが再現されていましたが
平成15(2003)年6月8日不審火により焼失しました、今は焼け跡だけになっています。この上にあった行者堂も(不審火で)焼失しています。
  交流ウォークの探検隊ということで藤井先生に草津地区を案内していただきました。
途中、海蔵寺から行者山頂の国泰寺・仏舎利をみて(と思っていたのですが国泰寺は身売りされ別の宗教法人が新しい仏閣の工事中でした)から草津八幡宮へ行こうとしていた時に、(高照神社の)行者堂の焼け跡をみました、焼け跡を写してもと撮影しませんでした。少し下ったところに高照神社社殿の焼失跡をみました、画像のように社殿はありませんが、両部鳥居だけは今も当時の神社の面影を残していました。
最近広島県(神石高原町や東広島市などで、昨日はわが町附近ということでHPにも取上げている隣町・海田町でも)では放火・不審火が相次いでおり全国ニュースでも紹介されていますが、この神社跡をみた時、神社に火をつける不届者がいるのかと信じられないおもいで撮影し、頁に編集しました。
 07.06.18裕・記編集

07.06.06撮影
広島市西区田方1-11

07.06.06撮影
社殿跡と木製鳥居

07.06.06撮影

07.06.06撮影
高照神社の額 両部鳥居

07.06.06撮影
行者堂跡から広島湾似島方向をみる



広島の神社仏閣」編



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草津附近」編


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