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中区舟入南の舟入神社の中で「被爆した本殿」をこの頁で取り上げました。
※本殿周りの昭和5年建立の玉垣に「西遊郭 小島茂一」がありましたので、西遊郭についても触れました。 |
1945(昭和20)年8月6日米軍投下の原子爆弾で被爆して残った「舟入神社本殿」です。 |
被爆建物
A-bombed Building
被爆当時の名称 舟入神社
(爆心地から2,780m) |
この社殿は、昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。 |
広島市 |
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資料をみて、被爆建物として記載がありましたので、2007年8月被爆したといわれる本殿を改めて撮影に行きました。2007年2月訪ねた時には気が付かなかった広島市設置の被爆建物プレートにも気がつきました。
2007年頁を編集した時、舟入神社として一括して編集しました。 |
2015年久ぶちに撮影しましたので、被爆建物としてこの頁を分離した頁に編集しました。 |
2015年撮影しているときに昭和5(1930)年12月吉日建立の玉垣の中に「西遊郭 小島茂一」と刻まれた玉垣に目が留まりました。
広島には東遊郭、西遊郭があったと聞いていました。
東遊郭に関しての石柱は広島東照宮でみていましたが「西遊郭」に関する石造物をみたのは(わたしは)初めてでしたので、この頁で取り上げました。 |
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地名辞典の舟入の項目に西遊郭についての記述もあります。
『・・・舟入遊郭は1892(明治25)年小網町にまたがって設置。日清戦争(1894-1895)を境ににぎわいをみせ、貸地会社が相次いで設立され西遊郭を形成。(明治33年の広島繁昌記によると明治30年ころ貸座敷数65・娼妓数約370人)・・・』とあります。 |
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15.05.05.分離編集 (07.09.06裕・記編集) |