(観音町)出雲神社

  西区観音町の観音公園北側に鎮座している「出雲神社」です。
創建や由来に関する説明板がありませんでしたのでわたしにはわかりませんでしたが
、パンフレット『観音・南観音再発見』をみて、1891(明治24)年五穀豊穣の祈願をこめて(出雲大社の)祭神:大国主命を祀った神社と知りました。
※由来は、観音公民館発行の「まちめぐり:観音・南観音再発見」を参考にしました
今(2007)年3月の交流ウォーク時にここ観音公園の北側に鎮座する出雲神社を教えていただきました。
鳥居をみると大正元(1912)年九月とよめましたので被爆した鳥居なのでしょう、また戦後再建されたと思われる社殿の東側に三戰紀念碑が建立されていましたこれも鳥居と同じ1912(明治45)年5月建立のようでした。
☆明治45(1912)年7月30日から明治天皇崩御され大正元(1912)年になりました。
09.02.16追記   07.08.20裕・記編集
   関連頁:観音公園

07.03.20.撮影

07.03.20.撮影
広島市西区観音町9 観音公園北側
出雲神社  鳥居は大正元年九月建之

07.03.20.撮影
出雲神社社殿  右側(東側)に三戦役記念碑が建立されています       
(観音公園)三戦役記念碑
  この三戰役紀念碑の建立が明治45(1912)年ということから日清戦争{1894(明治27)年8月〜1895年4月}、北清事変{1899(明治32)〜1900年}、日露戦争{1904(明治37)年2月〜1905年9月}をさしているものと思います。
刻まれた文字が不鮮明になってきていますので戦死者の方々はよくわかりませんでした。
 07.08.20裕・記編集

07.03.20.撮影
広島市西区観音町9 観音公園北側

07.03.20.撮影
三戰役紀念碑 観音村西部 帝國陸海在郷軍人
戰死者のお名前が刻まれていました 明治45(1912)年5月
(ざいごうぐんじんかい)
在郷軍人会:
各地に分立していた在郷軍人団体の統一組織。
1910(明治43)年帝国在郷軍人会として発足。初め親睦・修養などを目的としたが、昭和期には軍国主義の宣伝・戦争協力を行なった。機関紙「戦友」を発行。1946年(昭和21)年解散。



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