神社仏閣関蓮用語編豆知識詳細

  神社仏閣に関連する神様、仏様を辞書を引いて調べていく過程で出てくる語句の意味がさっぱりわからないのです、
半世紀以上も生きているわたしではありますが如何に勉強してこなかったかと・・・調べた語句をまとめていますが、わからないことだらけですので、これからも調べる語句は増えるばかりでしょう、こんな語句の意味も知らないのかと笑いながらみていただければ・・・
  07.05.23更新   04.08.18裕・再編集
きき
記紀
古事記と日本書紀
りっこくし
六国史
官撰の6種の国史の総称。
奈良・平安時代に編纂された『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』である。
国史の編纂は古く、7世紀、聖徳太子の時に『天皇記』以下が完成したといわれるが現在は伝わらない。
天武朝(672〜686)に史局が開設され、それが『日本書紀』となって720年(養老4)に完成した。
以来、相次いで国史が編纂され、これによって神代から887年(仁和3)までの国史が残された。
いずれも中国の史書に倣った編年体の漢文の国史で、薨卒(こうそつ)の条には詳しい伝記をのせて、紀伝体を兼ねる。なかでも『文徳実録』『三代実録』は記述が豊富で、記事が正確である。これらすべてが古代史研究の根史料である。
こじき
古事記
現存最古の歴史書。序文および上・中・下の三巻よりなる。
序文によれば、天武天皇とその遺志をついだ元明天皇の命により稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦んだ帝紀・旧辞を、太安万侶(おおのやすまろ)が編纂したとされる。
上巻は神代、中巻は神武から応神まで、下巻は仁徳から推古までの記事を収める。
総じていえば、上巻は純粋な意味で神々の時代を扱い、中巻は神と人間の未分化の時代を、下巻は純粋に人間の時代を扱ったものといえるであろう。
国文体の最古の古典として国文学・国語学上の貴重な文献であるのはもちろん、その内容は神話学・民族学・歴史学の研究資料ともなる。
にほんしょき
日本書紀
日本紀
 720(養老4)年に成立したわが国最初の正史。いわゆる六国史の第一。三十巻。
神代より持統天皇の代までの歴史を、帝紀・旧辞のほか諸氏の記録、寺院の縁起、朝鮮側資料などを利用して、漢文で編年体に記す。編纂総裁は天武天皇皇子舎人(とねり)親王であった。720年成立。
『古事記』が諸説のうち一つの正説を定めて筋を通そうとしたのに対し、
『日本書紀』は帝紀、旧辞以外にも、多方面にわたる資料を活用し、漢籍、仏典も豊富に引用している。異説を強いて統一せず、一書という形で併記している。
しょくにほんぎ
続日本紀
続紀
平安初期の勅撰の史書。六国史の第二。
四十巻。修正・再編などの編纂過程を経て藤原継縄・菅野真道・秋篠安人らにより797年撰進。
文武天皇から桓武天皇まで、すなわち697から791年の95年間を編年体で記す。
にほんこうき
日本後紀
後紀
六国史の第三。
四十巻。現存十巻。819年編集開始、840年に藤原冬嗣・藤原緒嗣(おつぐ)らによって完成。
792年から833年の間の史実を漢文・編年体で記述する。
しょくにほんこうき
続日本後紀
続後紀
平安前期の勅撰の史書。六国史の第四。
二十巻。藤原良房・藤原良相・伴善男らにより869年撰進。
仁明天皇在位18年間(833-850)を編年体で記す。
にほんもんとくてんのうじつろく
日本文徳天皇実録
文徳実録
六国史の第五。
十巻。871年藤原基経らが撰して中絶、879年菅原是善・都良香らが完成。
文徳天皇一代の歴史を漢文・編年体で記述したもの。
にほんさんだいじつろく
日本三代実録
三代実録
六国史の第六番目。
五十巻。藤原時平・大蔵善行らが宇多天皇の勅をうけて撰修、901年完成。
清和・陽成・光孝三代、858(天安2)年から887(仁和3)年までの30年間を編年体で記述する。
しんせんしょうじろく
新撰姓氏録
古代の諸氏族の系譜。三十巻、目録一巻。
嵯峨天皇の命により、万多親王らが編纂。815年成立。
京畿の氏族1182氏を家柄・出自によって神別・皇別・諸蕃に類別し、それぞれの系譜を記したもの。現存本は抄録本。
こごしゅうい
古語拾遺
歴史書。一巻。
斎部(いんべ)広成著。807年成立。
中臣(なかとみ)氏の勢力の伸長下、祭祀執行の職権を縮小されつつあった旧来の祭祀氏族斎部氏が、平城天皇に提出した愁訴状。
神代以来の歴史を扱い、記紀を補う資料として重要。題名は後人の付けたもの。
あしはらのなかつくに
葦原の中つ国
日本の、神話的名称。日本の国土。
あまのぬほこ
天の瓊矛
記紀の国産みの神話で、伊弉諾尊・伊弉冉尊が用いた、玉で飾った立派な矛(ほこ=両刃の剣に長い柄をつけた武器)。
あまのむらくものつるぎ
天叢雲剣
三種の神器の一。
記紀神話で、素戔嗚尊が出雲国の簸川(ひのかわ)の川上で、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した時に、大蛇の尾から得たという霊剣。草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)。熱田神宮に祀る。
さんしゅのじんぎ
三種の神器
皇位のしるしとして伝えられている三つの宝物。
八咫(やた)の鏡・草薙の剣(天叢雲の剣)・八尺瓊(やさかに)の勾玉(まがたま)。
みくさのかんだから。みくさのたからもの。
たかまのはら
(たかまがはら)
高天原
日本神話の天上界。古事記神話で、八百万(やおよろず)の神々がいるという天上界。
天照大神が支配し、「根の堅州(かたす)国」「葦原の中つ国」に対する。
てんそんこうりん
天孫降臨
記紀神話で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)・天照大神の命令で、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治するために、高天原(たかまのはら)から日向(ひゆうが)国(=宮崎県)高千穂(たかちほ)峰に天降(あまくだ)ったこと。
てんじょうかい
天上界
1)天上にあるという世界。天界。
2)「天上(てんじょう)」仏教で、天人の世界。天道。天上界。に同じ。
ねのかたすくに
根の堅洲国
古事記が構想した他界の一つ。
素戔嗚尊が支配し、葦原中国の国造りに間接的に関与する。大国主神は、ここを訪れることで国土の王たる資格を獲得し、国造りを完成する。なお、出口を同じくするが「黄泉(よみ)の国」とは異質の世界で、日本書紀その他にみえる「根の国」とも異なるか。所在についても、従来考えられてきたように地底ではなく、葦原中国と同一面上にあるとも説かれる。
ねのくに
根の国
地底または海上のかなたにあると考えられた古代の他界の一つ。
あらゆる災いや罪・汚れの流しやられる所と考えられた。
やさかにのまがたま
八尺瓊の勾玉
(1)三種の神器の一。
  天照大神が天の岩戸に閉じこもった時に奉ったという勾玉。神璽。
(2)古代、多くの勾玉を一つの長いひもに貫き連ねた装飾品。
やたのかがみ
八咫の鏡
〔大きな鏡の意〕三種の神器の一。
天照大神が天の岩戸にこもったとき、奉ったという鏡。伊勢神宮の内宮に御神体として奉斎され、模造のものが宮中の賢所(かしこどころ)に奉安される。やたかがみ。
やまたのおろち
八岐大蛇
八俣大蛇
〔頭・尾それぞれ八つあり、八岐に分かれる大蛇の意〕
記紀神話に現れる大蛇。出雲国簸河(ひのかわ)の上流にいて、一年に一度老夫婦足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)の娘を一人ずつ呑んでいたが、八人目の時に素戔嗚尊によって退治された。その尾の中より出た剣が三種の神器の一つ、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)であるとされる。
よみ
黄泉
死後、霊魂が行くとされる所。死者の国。冥府。冥土。
よみの国。よみじ。よもつ国。

〔梵 a〕梵語の第一字母の音訳。
あいどの
相殿
同じ社殿に、二柱以上の神を合祀すること。また、その社殿。あいでん。
いつく
斎く (傅く)
1)心身の汚れを去り神に仕える。《斎》
「此の三柱の神は、胸形君等の以ち斎く三前の大神なり-古事記(上)」

2)神に仕えるような気持ちで大事に世話をする。《傅》
いもせ
妹背
妹兄
1)夫婦。
2)兄と妹。姉と弟。
うけい

誓約
古代の占いの一。あらかじめ定めた二つの事柄のどちらが起こるかによって、吉凶や正邪、また事の成否などを判断する。
☆使用例「誓の中に、必ず当に子を生むべし・・・日本書紀(神代上訓注)」
うん
〔仏〕悉曇の最終の字音。口を閉じた音で、字音の最後に位置する。
えき
戦争。たたかい。 「西南の役」「後三年の役」
役と言う文字は遠征・長征をさす言葉であり、軍事行動に対する中立的な言葉。
かじ
加持
密教で、仏の大悲の力と衆生の信心が相応ずること。すなわち仏の力が行者に加えられ、行者がそれを信心によって感得し、両者が一体化すること。
かんぬし
神主
1)神社に仕えて神をまつる人。また、その長。神官。
2)〔僧の用いる隠語。禰宜{ねぎ=神社に奉職する神職の総称。古くは神主と祝(はふり)の間に位置した}と音が通ずるところから〕葱(ねぎ)。
きえ
帰依
神仏や高僧などのすぐれた者を信じ、それによりすがること。
きょうしん
供進
神に幣帛(へいはく)を供えること。
こうあん
公案
禅宗で、修行者が悟りを開くため、研究課題として与えられる問題。優れた修行者の言葉や事績から取られており、日常的思考を超えた世界に修行者を導くもの。
ごうん
五蘊
〔仏〕諸存在を構成する物質的・精神的五つの要素。色(しき)・受・想・行・識の総称。色は物質的存在、受は事物を感受する心の働き、想は事物を思い描く心の働き、行は心の意志的働き、識は識別・判断する心の働き。五陰(ごおん)。五衆(ごしゆ)。
くし
国司
律令制で朝廷から諸国に赴任させた地方官。守かみ・介すけ・掾じょう・目さかんの四等官とその下に史生しじょがあった。その役所を国衙こくが、国衙のある所を国府と称した。くにのつかさ。
こくへい
国幣
官幣に対し、国司より正税によって一定の神社に奉った幣帛。また国庫から奉る幣帛。
ごくらくおうじょう
極楽往生
死んでのち極楽浄土に生まれかわること
ごこく
五穀
1)人間の主食となる代表的な五種の穀類。いつつのたなつもの。
   日本では米・麦・粟(あわ)・黍(きび){または稗(ひえ)}・豆をいう。
2)穀物類の総称。   「五穀豊穣(ほうじよう)を祈る」
こんごうしょ
金剛杵
古代インドの武器。のち密教で、煩悩を打ち砕く仏の智慧を象徴する法具。
細長く手に握れるくらいの大きさで、両端のとがった独鈷(とつこ)、両端が三つに分かれている三鈷、五つに分かれている五鈷などがある。
さいだん
截断
「せつだん(截断)」の慣用読み。1)物をたち切ること。切り離すこと。
じじん
自刃
刃物を使って自らの生命を絶つこと。
しだい
四大
1)〔仏〕(ア)物質界を構成する四つの元素、すなわち地・水・火・風。四大種。四界。
     (イ)特に、人間の身体。地・水・火・風から構成されているからいう。
しったん
悉曇
〔梵 sddha の音訳で、成就・吉祥(きつしよう)の意。〕
もと字母表の初めに成就・吉祥を願ってこの語を書いたところから出た語〕梵字の字母。摩多(また)(母音)一二字と体文(たいもん)(子音)三五で構成される。狭くは、摩多のみをさす。
また、これに関する研究をもいう。日本へは八世紀頃に伝えられ、五十音図成立のきっかけとなるなどの影響を与えた。当時の盛んな悉曇学の集大成に、安然(あんねん)著「悉曇蔵」(880年成立)がある。
じんぎ
神祇
天神と地祇。天つ神と国つ神。かみがみ
じんぎかん
神祇官
1)大宝令に制定された官庁。太政官と並立し、神祇官の祭祀をつかさどり、諸国の官社を総管。かむづかさ。
2)1868(明治元)年閏四月に置かれた官庁。神祇・祭祀・祝部・神戸を総管。1871(明治4)年格下げして神祇省と改称、翌年廃止。事務は式部寮・教部省に移管。
しんじょうさい
新嘗祭
宮中儀式の一。
天皇が新穀を神々に供え、自身も食する。古くは11月下旬の卯(う)の日、明治6年以降は11月23日に行われ、祭日とされた。にいなめさい。
天皇の即位後初めて行うものを大嘗祭という。
せんじゅねんぶつ
専修念仏
ひたすら念仏だけを唱えること。主として法然流の念仏をいう。
せんそ
践祚
天皇の位を受け継ぐこと。
先帝の崩御または譲位によって行われる。古く、践祚と即位の区別はなく、桓武天皇以後、践祚の後、日を隔てて即位式が行われるようになった。
せんそう
戦争
武力を用いて争うこと。
1)二国または2グループに分かれた国々が武力を用いてたがいに敵対行為をとる状態。
   国家国際法上、宣戦布告によって発生し、戦時国際法が適用される。
2)国内の武装勢力どうしが敵対行為をとる状態。
そとば
卒塔婆
供養・追善のため、墓などに立てる細長い板。塔の形の切り込みがつけられ、梵字・経文・戒名などが記されている。板塔婆。塔婆。そとうば。
だいじょうさい
大嘗祭
天皇の即位後最初の新嘗祭(しんじようさい)。一代一度の祭事。
たっちゅう
塔頭
2)大寺の山内にある末寺。わきでら。寺中(じちゆう)。子院。
1)禅宗寺院で開山または住持の死後、弟子が遺徳を慕ってその塔の頭(ほとり)、あるいは同じ敷地内に建てた小院
ちえ
智慧=知恵
(1)〔仏〕 空など仏教の真理に即して、正しく物事を認識し判断する能力。
これによって執着や愛憎などの煩悩を消滅させることができる。六波羅蜜の一つ。般若。《智慧》
(2)事の道理や筋道をわきまえ、正しく判断する心のはたらき。事に当たって適切に判断し、処置する能力。
(3)〔哲〕 単なる学問的知識や頭の良さではなく、人生経験や人格の完成を俟(ま)って初めて得られる、人生の目的・物事の根本の相にかかわる深い知識。叡智(えいち)。ソフィア。
にきたま(にぎたま)
和魂
にきみたま
和御魂
平和・静穏などの作用をする霊魂・神霊。
⇔荒御魂(あらみたま=荒々しく活動的な作用をすると考えられた神霊)
ぬえ
1)トラツグミの異名。
2)平家物語などで、源三位頼政に射殺されたという怪物。頭は猿、体は狸、尾は蛇、脚は虎に、それぞれ似ていたという。

3){2)から転じて}得体の知れない人物のこと。
ぬほこ
瓊矛
「ぬ」は玉の意。 玉で美しく飾った矛{=両刃の剣に長い柄をつけた武器。刺突用。古代に用いられたが平安時代からは薙刀(なぎなた)などにとってかわられ、儀仗・祭祀(さいし)に用いられるのみになった。}
はいぶつきしゃく
廃仏毀釈
排仏棄釈
〔仏法を廃し、釈迦の教えを棄却する意〕
1868(明治元)年、祭政一致をスローガンとする政府の神道国教化政策・神仏分離政策によってひきおこされた仏教排斥運動。各地で仏堂・仏像・経文などが破棄された。
びしょう
美称
ほめる意味をもつ言葉。
「御酒(みき)」に対する「豊御酒(とよみき)」、「たすき」に対する「玉だすき」など。
へいはく
幣帛
神に奉献する物の総称。みてぐら。にきて。ぬさ。
ほんじしん
本地身
密教の仏身説で、宇宙の根源そのものである毘盧遮那(びるしやな)仏の法身(ほっしん)をいう。本地法身。
みささぎ
天皇または三后の墓。御陵。
古くは「みさざき」
みそぎ
海や川の水で体を清め、罪や穢(けが)れを洗い流すこと。
みそぎはらえ
禊祓
人々の罪や穢(けが)れを除き去る神事。
かんぺいしゃ
官幣社
社格の一.古くは神祇官から幣帛を捧げた神社であったが、明治以降は宮内省から幣帛を供進した神社をいう。
大社・中社・小社・別格官幣社の別があった。
主として皇室尊崇の神社および天皇・皇親・功臣を祀る神社。第二次大戦後この制度は廃止になった。
こうたいじんぐう
皇大神宮
三重県伊勢市にある神社。伊勢神宮の内宮。五十鈴川上流右岸、神路山の麓に鎮座。
天照大神を祀る。五十鈴宮。天照皇大神宮。
こくへいしゃ
国幣社
社格の一で、官幣社に次ぐもの。もと国司から幣帛を奉った神社で、明治以後は国庫から奉った。大社・中社・小社の三等があり、主に国土経営に功績のあった神を祭る。第二次大戦後廃止。国社。
しょうこんしゃ
招魂社
明治維新前後から国家の為に殉難した人の霊を祀った神社。明治元(1868)年各地の招魂場を改称。さらに昭和14(1939)年護国神社と改称。靖国神社も招魂社の一つであるが護国神社と改称しなかった。
じんじゃ ほんちょう
神社本庁
 昭和21年2月3日、全国の神社の総意によって設立されました。
日本敗戦を受け進駐してきた連合国軍総司令部が昭和20年12月15日に「神道指令」を発し、神社の国家からの分離を命じた。
そのため、当時民間の神社関係団体であった皇典講究所(こうてんこうきゅうしょ)・大日本神祇会(だいにほんじんぎかい)・神宮奉斎会(じんぐうほうさいかい)の3団体が相寄り、新たにを設けた組織が「神社本庁」。

※神社本庁自体の説明によると・・・
『神社本庁は、伊勢の神宮を本宗(ほんそう)と仰ぎ、全国約80,000社の神社から組織されています。 神社本庁は、包括下の神社の管理と指導を中心に、伝統を重んじて祭祀(さいし)の振興(しんこう)や道義(どうぎ)の昂揚(こうよう)をはかり、日本の繁栄を祈念して、世界の平安に寄与することにあります。こうした活動をさらに充実させるとともに、神道や神社に関する正しい認識を提供してゆくことが、一つの使命と考えております。 また、神社本庁は地方機関として各都道府県に神社庁を置いています。神社庁は管内包括神社に関する事務をとるほか、地域活動の振興をはかる仕事をしています。』と述べています。
そうしゃ(そうじゃ)
総社

惣社
一定の地域内に鎮座している神社の祭神を勧請(かんじょう)して、特定の一神社に合祀し、その地域の集約的な祭祀を行うものとされる神社。一郡、一郷の総社もあるが、一般的には一国の総社をいう。一国の総社の成立はかならずしも明確ではないが、国司が班幣その他の祭祀にあずかる国内の主要な神社を巡拝するかわりに、便宜上、国府の近くに勧請・合祀して祭祀したものといわれ、平安中期ごろに発生したと考えられている。
たいしゃ
大社
1)古く社格を大・中・小に分けた第1位の神社。「名神みょうじん大社」
2)もと官国幣社の第1位。官幣大社・国幣大社の類。
ちゅうしゃ
中社
1)古く社格を三等に分けた第二位の神社。賀茂社・住吉社の類。
2)官国幣社の第2位。官幣中社・国幣中社の類。
べっぴょうじんじゃ
別表神社
戦後公的社格が廃止されたため神社本庁が特に著名な神社(旧官幣・国幣社および護国神社、また旧府県社などの一部有名な神社)を「別表神社」として位置付け、「役員の進退に関する規程」の中で宮司の任命資格などを特に定め、また権宮司を置ける場合があるなど、社格ではないものの、一般神社とは区別しています。
ただしこれは社格序列ではなく、あくまでも神職の人事上に関わる位置づけとされているそうです。 
広島市には、比治山神社と広島護国神社がある。
ぼだいじ
菩提寺
先祖代々の墓をおき、葬式や法事を行う寺。檀那寺。
菩提寺の“菩提”とはさとり、めざめを意味する梵語(=古代インドの文章語で、サンスクリット語)。梵語の発音に漢字をあてたのが、“菩提”。
つまりさとり、めざめのために建てられたお寺を菩提寺といい、家族や親類、また縁の深かった人などが釈迦のようにさとれますように、めざめられますようにとの切なる願いによって建てられたお寺が菩提寺。
ろくどう
六道
すべての衆生(しゆじよう)が生死を繰り返す六つの世界。六趣。六界。りくどう。
迷いのない浄土に対して、まだ迷いのある世界。
地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道。前の三つを三悪道、あとの三つを三善道という。
じごくどう
地獄道
六道・三悪道の一。地獄。六道の最下位。
閻魔が主宰し、死者の生前の罪を審判して、それに応じた責め苦を与える。
八熱地獄・八寒地獄など一三六種の地獄がある。
がきどう
餓鬼道
六道・三悪道の一。
飲食が自由にならず、飢えに苦しむ世界。
ちくしょうどう
畜生道
六道・三悪道・十界の一。畜生の世界。畜生趣。
悪行の結果、死後生まれ変わる畜生の世界。
あしゅらどう
阿修羅道
六道の一。修羅界。修羅道。
阿修羅が住み、常に争いの絶えない世界。
にんどう
人道
六道の一。
人間として存在する世界。人界(にんがい)。
てんどう
天道
六道の一。
天上の世界。天路(あまじ)。
ぶっきょう
仏教
仏陀が説いた教えの意味。
紀元前五世紀(一説に六世紀)に釈迦が開いた宗教。インドにおこり、ほぼアジア全域に広まった。
この世を苦しみ・迷いの世界と見、苦行にも悦楽にも偏らない正しい実践によってそこから脱け出ること、さらには迷いに沈む生きとし生けるものを救うことを目ざす。発展史的に原始仏教・部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教、伝来の相違により南伝(南方仏教)・北伝(北方仏教)などの区別が立てられるが、受容された地域の特殊性や社会変動によって多様な信仰に展開した
したい
四諦
四つの真理の意。
苦諦・集諦(じつたい)・滅諦・道諦の総称。十二縁起と並ぶ仏教の根本教理。四聖諦(ししようたい)。
はっしょうどう
八正道;
八聖道
仏陀(=釈迦の尊称)が最初に説いた仏教の基本的な教えの一つ。
涅槃(ねはん)に至るための八つの正しいおこない。すなわち、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定。
えんぎ
縁起
「縁(より)て起こること」で、具体的には「苦しみは、なんらかの原因・条件(因縁)によって起こり、その原因・条件(因縁)がなくなれば、苦しみもなくなる」ということ。
十二縁起
無明(むみょう)、行(ぎょう)、識(しき)、名色(みょうしき)、六処(ろくしょ)、触(そく)、受(じゅ)、愛(あい)、取(しゅ)、有(う)、生(しょう)、老死・愁悲苦憂悩。
しう
四有
一つの生が経る四つの段階。
すなわち、生命の出現する瞬間である生有(しようう)、生存している状態である本有(ほんぬ)、死ぬ瞬間である死有(しう)、次の生を得るまでの状態である中有(ちゆうう)=中陰。
しょなのか
初七日
仏教的には、死者が三途の川のほとりに到着する日とされ、死後七日目に閻魔大王の裁判によって、死者が川の激流か急流か暖流のいずれかを渡るかが決められるとされている。
死者が無事に暖流を渡れるようにと願って営むのが「初七日」の法要
しじゅうくにち
四十九日
人の死後四九日の期間。この間、死者はこの世と来世との中間をさまようという。人の死後、次の生を受けるまでの間の状態。中陰(ちゅういん)。
七日ごとにあの世で裁きを受け、この旅の最後に来世の生まれ変わり先が決まると考えられており、初七日、二七日(ふたなぬか)・三七日・四七日・五七日・六七日を経て、忌明け(七七日・四十九日)法要を営んで満中陰となる。
しゃか
釈迦
紀元前463〜前383
紀元前560〜前480
諸説あり
仏教の開祖。世界四聖の一人。姓はゴータマ、名はシッタルタ。中部ネパールの釈迦族の中心地迦毘羅(かびら)城に浄飯王(じようぼんのう)の子として生まれる。母は摩耶夫人(まやぶにん)。29歳で出家、35歳で悟りを得た。のち鹿野園(ろくやおん)で五人の修行者を教化し(仏教教団の成立)、以後80歳で入滅(にゆうめつ)するまで教化の旅を続けた。教説は四諦(したい)・八正道(はつしようどう)・十二縁起などでまとめられる。釈迦牟尼(しやかむに)。釈尊。釈迦如来。
※紀元前七〜六世紀頃、ヒマラヤ山麓ネパールに居住していた部族。釈迦も釈迦族の出身。
仏教 仏陀が説いた教えの意味。
紀元前五世紀(一説に六世紀)に釈迦が開いた宗教。インドにおこり、ほぼアジア全域に広まった。
この世を苦しみ・迷いの世界と見、苦行にも悦楽にも偏らない正しい実践によってそこから脱け出ること、さらには迷いに沈む生きとし生けるものを救うことを目ざす。発展史的に原始仏教・部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教、伝来の相違により南伝(南方仏教)・北伝(北方仏教)などの区別が立てられるが、受容された地域の特殊性や社会変動によって多様な信仰に展開した
じしゅう
時宗
13世紀に一遍智真の開宗した浄土宗の一派。
阿弥陀の救済力の絶対的な強さを説き、信者の信仰のあり方を問わず、称名さえすれば往生すると説いた。宗主以下僧は諸国を遊行し、名号を記した賦算(ふさん)と呼ばれる札を配り、念仏踊りを行なった。広く民衆に浸透し、15世紀に最盛期を迎えたが、その後、本願寺教団の発展などにより、勢力を小さくした。本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺。遊行宗。時衆。
じょうどしゅう
浄土宗
 浄土宗は、法然上人(1133〜1212)が浄土三部教や浄土論に基づいて創始した浄土教の一派。
法然上人は、平安末期現在の岡山県{美作(みまさか)の国}に生まれる。  幼少にして父を失い、出家して比叡山にて勉学し、ただひたすらに仏に帰依(きえ)すれば必ず救われる、即ち南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を口に出して称(とな)えれば必ず仏の救済をうけて平和な毎日を送り、浄土に生まれることができる、という‘他力の教え’をひろめる。  
 当時旧仏教の中でこの教えは貴族だけの仏教を大衆のためにということで日本中にひろまる。
法然上人は、どこにいても、なにをしていても阿弥陀仏の本願に頼り、南無阿弥陀仏と念仏を口に称えて仕事をし、その仏の御名(みな)のなかに生活しなさいと教えている。 浄土専念宗。
ちんぜいは
鎮西派
浄土宗の一派。京都智恩院が総本山。開祖は法然の弟子聖光(弁阿)で、特に鎮西で布教。
諸行往生を認める。のち六流に分かれた。鎮西流。
じょうどしんしゅう
浄土真宗
鎌倉初期、法然の弟子の親鸞が創始した浄土教の一派。
阿弥陀仏の力で救われる絶対他力を主張し、信心だけで往生できるとする。
本願寺派・大谷派・高田派・仏光寺派・木辺派・興正派・出雲路派・山元派・誠照寺派・三門徒派の十派に分かれる。真宗。一向宗。門徒宗。
ほんがんじは
本願寺派
真宗十派の一。京都の西本願寺が本山。(大谷派とともに)親鸞の直系。
曾孫である第三世覚如が、京都の親鸞の墓所を中心にして本願寺を建立。第八世蓮如が出て大いに宗勢が拡大した。第一二世准如の時、長兄教如が徳川家康の援助で東本願寺を建てたため、以後本願寺は東西両本願寺に分かれた。お西。
しんごんしゅう
真言宗
仏教の一宗派。平安初期入唐した空海が恵果から密教を受けて帰国、開宗した。
金剛峰寺・東寺を根本道場とし、修法と門弟の教育などを行なった。主に大日経・金剛頂経に基づき大日如来の悟りの世界を直接明らかにしようとするもので、即身成仏を説く。加持祈祷(きとう)を行なって平安時代の貴族の間に浸透。一三世紀末に古義と新義に分裂した。真言陀羅尼宗。秘密宗。曼荼羅宗。東密。
こぎしんごんしゅう
古義真言宗
真言宗の一派。覚鑁(かくばん)が加持身説を説いて根来寺に分立した新義真言宗に対して、従来の教理・本地身説を説くもの。
高野山を中心とし、古義八派といわれたが、現在は各派に分裂。古義派。古義。
おむろは
御室派
真言宗の一派。御室仁和寺が本山。宇多天皇を派祖とし、古義真言宗の系統をひく。
しんぎしんごんしゅう
新義真言宗
空海を高祖とし、覚鑁(かくばん)を宗祖とする真言宗の一系統。
本地身説法を説く高野山の教学(古義)に対し、加持身説法などの新義を唱えたもの。覚鑁が開いた大伝法院根来寺を中心としていたが、のちに智山(京都智積院)・豊山(大和長谷寺)二派が分派成立。新義派。
ぶざんは
豊山派
新義真言宗の一派。派祖、専誉。
奈良県桜井市の長谷寺を総本山とする。1900(明治33)年一派として独立。
そうとうしゅう
曹洞宗
禅宗の一派。九世紀頃の唐の洞山良价(とうざんりようかい)とその弟子曹山本寂の門流をいう。
1227年道元によって日本にもたらされ、永平寺四世の瑩山紹瑾(けいざんじようきん)のときに地方の武士・農民に教勢を伸ばした。臨済と並ぶ禅宗の二大宗派。福井県の永平寺と横浜市鶴見区の総持寺が本山。只管打坐(しかんたざ=悟りを求めたり想念をはたらかすことなく、ひたすら座禅すること)をもっぱら重視。
てんだいしゅう
天台宗
日本八宗・中国十三宗の一。インドの竜樹に始まり、北斉の慧文(えもん)・慧思(えし)を経て隋の智(ちぎ)により大成された大乗仏教の一宗派。
法華経を所依とし、止観の実践に基づき、中道・実相の世界を説く。日本へは奈良時代に唐の僧鑑真が初めて伝えたが定着せず、平安初期に入唐した最澄が比叡山に寺院を建て宣教して以後、大いに広まり、次第に密教色を深めていった。
のち山門派と寺門派に分裂し、さらに下って真盛派も生まれた。天台法華宗。法華宗。止観宗。天台円宗。台密。
にちれんしゅう
日蓮宗
日蓮が開いた仏教の一宗派。
「法華経」を唯一の所依とし、久遠仏への帰依と「南無妙法蓮華経」の唱題による成仏を説き、現世における仏国土建設をめざす。日蓮の死後廟所
(びようしよ)とされた甲斐身延山久遠寺が布教の本拠となったが、のち日蓮宗・日蓮正宗・法華宗(本門流・陣門流・真門流)・顕本法華宗・日蓮宗不受不施派・本門仏立宗などの分派が生まれた。法華宗。
りんざいしゅう
臨済宗
禅宗の一派。開祖は唐の臨済義玄。のち楊岐・黄竜二派に分かれた。
鋭く厳しい宗風をもち、公案の工夫による修行を重視。日本では鎌倉初期に入宋した明庵栄西(みようあんえいさい)が黄竜派の禅を伝えたのに始まる。その後の伝来は楊岐派の系統が圧倒的。鎌倉・室町時代に大いに興隆し、室町幕府は五山の制をつくって保護した。
みょうしんじは
妙心寺派
臨済宗一四派の一。本山は京都の妙心寺、派祖は関山慧玄(かんざんえげん)(1277-1360)。
ぜんしゅう
禅宗
大乗仏教の宗派の一。日本では臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の総称。
その先行形態はインドに見られたが、六世紀前半達磨(だるま)が中国へ伝えてから発達した。七世紀には六祖慧能の南宗と神秀の北宗とに分かれ、主流となった前者から曹洞宗と臨済宗が派生した。日本へは鎌倉時代の初めに栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗をそれぞれ伝え、江戸時代には隠元が黄檗宗を伝えた。座禅を中心においた修行によって心の本性が明らかにされ悟りが得られるとし、不立文字(ふりゆうもんじ)・教外別伝(きようげべつでん)・直指人心(じきしにんしん)・見性成仏(けんしようじようぶつ)を唱える。ただし、道元に始まる日本の曹洞宗は只管打坐(しかんたざ)を説く。仏心宗。禅門。
おうばくしゅう
黄檗宗
曹洞宗・臨済宗と並ぶ日本三禅宗の一。本山は黄檗山万福寺(京都府宇治市)。
1654年明の僧隠元によってもたらされた。宗風は臨済宗とほぼ同じだが、明代の仏教的風習が加味されている。1874年(明治7)に臨済宗と合併したが、二年後に独立して一宗派となった。
かんこくへいごう
韓国併合
1910(M43)「日韓併合ニ関スル条約」により日本が韓国を併合し、自国の領土としたこと。
日露戦争後、日本は三次にわたる日韓協約により漸次韓国支配を強めてきたが、併合以後は朝鮮総督府を置き1945(S20)の敗戦まで完全支配した。日韓併合。
じんしんのらん
壬申の乱
672年、壬申の年、天智天皇の子大友皇子と同天皇の実弟大海人皇子(おおあまのおうじ)との間で起こった皇位継承をめぐる争い。
一か月余の戦いの結果、大友皇子は自害し、大海人皇子が翌年正月即位して天武天皇となり、以後大化の改新が一層強力に推進された。
たいぎゃくじけん
大逆事件
1910(M43)年5月、幸徳秋水(1871-1911、社会主義者)ら多数の社会主義者・無政府主義者が明治天皇暗殺を計画したとして、大逆罪のかどで検挙・処刑された事件。検挙者は全国で数百名にのぼり、翌(1911)年1月、24名に死刑が宣告され12名が処刑された。幸徳秋水事件。
にちろせんそう
日露戦争
1904(M37)年2月から翌(1905)年にかけて、満州・朝鮮の支配をめぐって戦われた日本とロシアの戦争。
ロシアの南下政策に対して日本は英・米の支持の下に強硬政策をとり開戦。日本軍は旅順攻略・奉天会戦・日本海海戦で勝利を収めたが、軍事的・財政的に限界に達し、ロシアでは革命運動の激化などで早期戦争終結を望み、両国はアメリカ大統領ルーズベルトの勧告をいれて、1905年9月ポーツマスで講和条約を締結した。
にっしんせんそう
日清戦争
1894(M27)年8月から翌(1895)年にかけて日本と清国の間で戦われた戦争。
朝鮮進出政策をとる日本は、宗主権を主張する清国と対立、甲午農民戦争(東学党の乱)を機に両国は朝鮮に出兵、日本軍は豊島(ほうとう)沖で清国軍艦を攻撃し開戦に至った。日本軍は平壌・黄海・威海衛などで勝利し、1895年4月、下関で講和条約締結。
へいじ-のらん
平治の乱
保元(ほうげん)の乱後、1159年(平治1)12月、京都に勃発した内乱。
後白河上皇の近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結びつき、藤原信頼・源義朝による上皇幽閉、藤原通憲(信西)殺害という事件に発展した。しかし、平清盛の計略によって上皇は脱出し、激しい合戦のすえ源氏方は敗北した。以後、平氏の政権が成立した。
ぼしんせんそう
戊辰戦争
1868(慶応4)年戊辰の年に始まり、維新政府軍と旧幕府側との間に16ヶ月余にわたって戦われた内戦。
正月の鳥羽・伏見の戦いに勝利した政府軍は、四月江戸城を接収、上野にこもる彰義隊はじめ関東各地で旧幕府主戦派を討滅、奥羽越列藩同盟を結んで対抗する諸藩をも会津戦争を頂点に十月には帰順させた。翌年5月、最後の拠点箱館五稜郭を陥落させ、内戦は終結、明治絶対主義国家確立への途が開かれた。
資料  三省堂:大辞林、 講談社:日本語大辞典、 岩波書店 広辞苑より



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