(児島駅前)万葉歌碑
  倉敷市児島駅前のJR児島駅前広場に建立されている「万葉歌碑」です。
この万葉歌碑には、730(天平2)年師走、太宰帥の任満ちて奈良に帰京する大伴旅人が、この地・児島に来た時、水城まで見送りにきていた筑紫の娘子(おとめ)の歌とその事を思い出し詠んだ旅人の歌、二首が刻まれています。
また、ライオンズクラブ国際協会336-B地区第26回年次大会記念事業として、1980(昭和55)年10月に建立されています。
  巻6-966  (遊行女婦児島)
倭道(やまとぢ)は 雲隠(くもがく)りたり 然(しか)れども 我が振る袖を 無札(なめ)しと思ふな
  *大和への道は雲に隠れている。 そうではあっても。 私が振る袖を無札だと思わないでください。
  巻6-967  大伴旅人
倭道の 吉備の児島(こしま)を 過ぎて行かば 筑紫(つくし)の児島 思ほえむかも
  *大和への道にある吉備の児島を過ぎて行く時には、筑紫の児島が思い出されるだろう。
※遊行女婦(ゆうこうじょふ)≒各地をめぐり歩き、歌舞音曲で宴席をにぎわした遊女。
大伴旅人(665-731)の歌は万葉集4500余首の中で山上憶良(660-733頃)とともに筑紫歌壇と呼ばれる独特の声調を放っています。
凝滞せずに流れ出る作風は憂いの色で染められ、清水を浴びるように清冽です。
730(天平2)年師走、太宰帥(だざいのそち)の任満ちて奈良に帰京する時、水城まで見送る官僚に混じって、筑紫の娘子(おとめ)児島がいました。
娘子の作る二首は袖振歌に答えて、旅人も二首の応答歌を残しています。
その内の各々一首をこの歌碑に刻みました。
倭道(やまとじ)は、筑紫道ともよばれ大和と九州を結ぶ、主要航路であり、児島はこの海路の中軸に位置していたから、旅人の脳裡に旅程の中の児島が浮かび、それが別離の人の人名と重なったのでしょう。
国生みの神話とともに胎動し記紀の世界に花々しく登場する児島の古代史の重さを、文芸の世界で最初に紹介してくれたのが旅人の一首です。
1200余年のときを越えて今も尚淡々と流露する万葉びとの心の曲に耳を傾け、心を澄ませましょう。(解説:角田直一)
JR児島駅前広場の野外彫刻作品“平成のふたつの岩”を撮影している時、ここで取り上げた「万葉歌碑」解説板に気が付きました。
解説板の根際の歌碑が建立されていましたので撮影しこの頁を編集しました。
15.05.09.裕・記編集

15.05.05.撮影
岡山県倉敷市児島駅前1-107 JR児島駅前広場

15.05.05.撮影
尾崎芳郎謹書

15.05.05.撮影

15.05.05.撮影



「倉敷市児島地区」


「岡山県」編



(広島ぶらり散歩)
JR児島駅
  山口牧生作:平成のふたつ岩
  (児島駅前)万葉歌碑


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