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中区本川町の本川小学校東門横に展示されている「被爆した手水鉢」です。
*校外に設置されていますので、自由に見学することができます。 |
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム))すぐそばで被爆した手水鉢(ちょうずばち)です。
手水鉢: |
手や顔を洗うために、水をためるくぼみをほどこした石です。
当時、水に花を浮かべて観賞していたそうです。 |
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中國新聞にこの被爆石の記事があったことを思い出しましたので探すとありました。
2007(平成19)年7月10日の記事です。
『原爆の爆心のほぼ直下だった広島県産業奨励館に隣接する民家で被爆した庭石が、爆心地にほど近い本川小学校に運ばれました。東門わきの道路沿いに据え、平和学習などに使われます。
縦横がそれぞれ約50cm、高さ約1.3mの御影石ですが、熱線で上部が変色し赤茶けています。
当時、奨励館の東隣に自宅があった田辺雅章さんによると、田辺さんの祖母がくぼみになった部分に水を張り、手水鉢として使っていたということです。
戦後、ドームのそばで土産物店「原爆一号の店」を営んだ吉川清さん(1986年没享年74歳)が1963年、立ち退きで引っ越す際に中区江波東の自宅に持ち帰ったもので、妻・生美さんが自宅を取り壊すことになり、広島平和記念資料館の仲介の結果、「平和学習に役立てて」との田辺さんの願いを受け本川小学校への設置が決まった。』という記事でした。 |
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2011年8月6日(原爆忌)、交流ウォークでここ本川小学校を訪ねたのです。
わたしはこの東門北側に設置されている原爆被災説明板はみて頁を編集していましたが、東門根際南側のこのモニュメント(被爆した石)は、はじめてみました。説明板が建っていましたので被爆した手水鉢だったのかと思いました。
以前、報道で見聞きしたことがあるな〜と思い調べると中國新聞に上記のような記事がありました。2012年のいまになりましたが頁を編集しました。 |
被爆75年の2020年はコロナ禍にみまわれ行動の自粛が要望されていますが、平和記念公園の本川(を挟んだ)対岸のここ本川小学校に設置されている原爆被災説明板を久しく撮影しました。その時、この被爆手水鉢も撮影しました。
簡単な文章だった説明板が新しくなっており内容は上記中國新聞の記事とほぼ同じ内容になっていました。記事にある田辺さんのお宅が載っている“猿楽町通り原爆被災説明板”を掲載しこの頁を更新しました。 |
21.05.26.更新 12.09.13.裕・記編集 |