旧・広島合同貯蓄銀行

  中区銀山町の(現在の)広島銀行銀山町支店に残されている「旧・広島合同貯蓄銀行の玄関部分」です。
廣島銀行 銀山町支店(旧店舗)
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分 爆心地より≒1,100m※(別資料では≒1210m) 原爆の強烈な爆風に耐えた石造りの3階建の建物で昭和20年7月から東警察署として使われていたが、1950(昭和25)年7月10日広島銀行に返還され同(昭和25)年12月11日より銀山町支店として再開された。
(説明板より)
英国のパラディアニズム(≒古代ギリシャ・ローマの様式をアレンジしたもの)の様式を用いた建物でした。
古代風の柱や柱土台、梁の飾りと梁上の屋階、柱と柱のアーチ型窓などによって構成されていた建物だったそうです。

03.06.26.撮影
 
広島合同貯蓄銀行の歴史
1922 大正11年1月 広島合同貯蓄銀行は県内の銀行の合同出資により銀山町で開業した銀行でした。
1937 昭和12年10月 下柳町に鉄筋コンクリート造3階建地下1階として新築しました。
1945 昭和20年5月 政府の1県1行主義に沿って県内の5行が合同し、新しい芸備銀行が設立されました。
広島合同貯蓄銀行本店は、芸備銀行下柳町支店となり7月には本店に統合され、建物は広島東警察署に貸与されました。
昭和20年8月6日 原爆により東警察署が大きな被害を受けました(下段に説明板の画像)
     爆心地より≒1,210m   被爆当時町名:下柳町
1945 昭和20年8月7日 〜19日の約二週間は臨時広島県庁になり、戦後も東署として使われたそうです。
1950 昭和25年 広島銀行に返還されました。
1988 昭和63年9月 建替えの為に解体され、玄関部分がモニュメントとして残されています。
資料をみて、被爆した旧・広島合同貯蓄銀行の玄関が残されていることを知り、2003年撮影しこの頁を編集しました。
2005年交流ウォークで訪ねましたので画像を追加しました。
2018年久しぶりに撮影していましたので、この頁を更新しました。
  関連頁:県庁の移り変わり
18.11.11.更新     03.07.01裕・編集

03.06.26.撮影
広島市中区銀山町3-1 広島銀行銀山町支店

03.06.26.撮影
(被爆当時:1945年10月)                            (解体前1988年10月)

05.04.16.撮影

18.10.03.撮影
広島銀行銀山町支店西面に設置されています

18.10.03.撮影
店名:廣島銀行銀山町支店

18.10.03.撮影
設置の説明板

18.10.03.撮影
(≒北西側からモニュメント側面をみました)



被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩へ
(旧・広島合同貯蓄銀行)被爆した玄関
(現在)ひろしまハイビル21


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