中国軍管区兵器部の大水槽

  2012(平成24)年平和記念資料館で「基町 姿を変える広島開基の地」と銘打った企画展7月13日から(12月12日までの期間で)はじまったのです。
その中におじさん(八束要さん)が資料館に寄贈している「部下の遺品-革財布・メダル・腕時計」が展示されています。
また、無料で配布されている企画展小冊子に(P7、P6)にわずかですが、おじさんの「原爆記」の掲載があります。
わたしは、原爆記を読んで、HPに掲載しようとした2003年の時から(原爆で倒壊した建物の下敷きになって)亡くなった四男(当時かぞえ2歳)の嘉忠さんをおじさんが仮に入れていたという本部裏の大水槽が兵器部の何処に位置していたのかずっとわからなかったのです。
企画展展示の中に基町地区の被爆直前(7月25日米軍撮影)と被爆後(8月11日米軍撮影)の大きなパネルがありました。兵器部部分をよくよく比べながらみると水槽と思われるものが数箇所写っています、その中で本部裏大水槽と思われるものはこれかなと思いましたので、ここでは大水槽に焦点をあて編集しました。確証はありませんが、ここではないかと矢印を付けました。
12.07.22裕・記編集

12.07.21撮影
広島市中区中島町1  平和記念資料館東館地階一階

12.07.21平和記念資料館展示パネル撮影
1945(昭和20)年7月25日米軍撮影、所蔵:米国国立公文書館

12.07.21平和記念資料館展示パネル撮影
1945(昭和20)年8月11日米軍撮影、所蔵:米国国立公文書館
※(蛇足です) 
8月6日(月)午前8時15分広島に米軍が原爆を投下しました。
8月9日(木)午前11時2分長崎に米軍が原爆を投下しました。



「原爆記」 (八束 要 著)



広島ぶらり散歩
(大水槽が出てくる)
原爆記No.4


inserted by FC2 system