(牛田浄水場)濾過調整機上屋

  東区牛田新町の牛田浄水場に残されている「(被爆した)濾過調整機上屋」です。
旧濾過調整機上屋は、(8棟あった内)現在1棟のみ残されています。
1924(大正13)年3月(頃)造られたそうです。イギリス積の煉瓦造の建物で、煉瓦積に花崗岩が筋状に挿入されています。
                         爆心地から≒2,770m
太田川の三角州上に形成された広島市は、井戸を掘っても塩分を含み、良質の飲料水を得ることが出来ず、太田川の水をそのまま飲用していたため、伝染病の流行の原因となっていました。
1894(明治27)年の日清戦争の勃発により、軍用水道の整備が急がれ、これに併せて市民水道も整備することになりました。布設計画は、英国人技師W.K.バルトンが中心となって作成され、1898(明治31)年8月に、全国(横浜、函館、長崎、大阪に続き)5番目の近代水道として完成しました。
濾過地の壁面は花崗岩の切石で、濾過井の上屋は煉瓦積で造られています。これらは、広島市水道の創設当時の姿をとどめる貴重な施設です。
煉瓦造りの(濾過調整機が設置されていたと云う)小さな建物です。
建物は小さいのですが、現在東区スポーツセンター方向から、広島市水道資料館に行く途中にあるこの建物の存在感の大きさをわたしは思い、(立入禁止処置がとられているこの)建物内部も見てみたいと常々思っています。
2007年撮影しこの頁を編集しました。
2012年も撮影しましたので、2007年編集頁は建物の周辺、説明板の位置などがわかる画像を掲載していませんでした。また、説明板にある濾過地壁面の切石が良くわからない画像でしたので壁面がわかるようにと画像を入れ替えるなど、2014年のいまになりましたがこの頁を再編集しました。
14.12.16再編集   07.03.21.裕・記編集

07.02.10.撮影
広島市東区牛田新町1-8-1  (広島市水道資料館)
ありし日の牛田浄水場ぽつんぽつんと写っているのが上屋建物です(説明板の写真を使用しています)

07.02.10.撮影
濾過調整機上屋 と (濾過地の壁面は)花崗岩の切石

07.02.10.撮影

07.02.10.撮影

12.02.04.撮影

12.02.04.撮影

12.02.04.撮影



被爆した建物・構築物」編



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  被爆建物)
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「牛田・二葉の里」編


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