(大竹市)原爆慰霊碑「叫魂」

  大竹市立戸の大竹市中央公民館前に1983(昭和58)年に建立された「原爆慰霊碑・叫魂」です。
叫魂(きょうこん)の碑由来記  被爆五十周年記念 1995(平成7)年8月6日大竹市原爆被害者協議会
  広島市に原爆が投下された昭和20(1945)年8月6日大竹市の前身である大竹町、小方村、玖波町から国民義勇隊や学徒で動員された約千人※の方々が不幸にも一瞬にして尊い命をうばわれました。
生き残った私たちは次代を担う若き世代に「ノーモア・ヒバクシャ」の願いを受け継いでもらうため昭和58(1983)年11月6日に原爆慰霊碑「叫魂」を建立しました。
仁王様に似た表情で天をにらんでいる父親の像は被爆者の怒りを表し、地蔵様に似た表情で天を仰いでいる子供の像は永遠の平和を象徴しています。
  台座に「大竹市原爆被爆者協議会 昭和五十八年十一月六日建之」「三上良平作」と刻まれていました。
上記の「由来記・碑」は、慰霊碑建立時には無く、被爆50年の時に設置されたものです。
広島原爆戦災誌によると、
国民義勇隊員出動数953人、即死者159人、負傷12人、行方不明782人とあります。動員学徒の犠牲者は、大竹町63人、玖波町29人、小方村29人、いずれも即日または2週間以内に死亡したと記述しています。
また、金輪島に収容されていた地元以外の負傷者が軍用船で大竹に送り込まれ、小方国民学校、小方避病院、大竹国民学校、玖波国民学校に474名を収容多くの方々が亡くなったそうで、そのほか小方村の海岸に死体が漂流してきて火葬した事もあったそうです。
大竹市社会健康課の資料によると
『2015(平成27)年8月6日(木)第33回原爆死没者追悼・平和祈念式典を8時から8時45分を開催しました。
今年度も多くの方が参列され、原爆犠牲者を追悼し、核兵器のない世界の平和を祈念し、市内の児童・生徒が「平和への誓い」の作文を朗読され、列者による献花が行われ、内の児童・生徒が折鶴を献納されました。』 そうです。
今(2011年)回大竹市をぶらり散歩した主目的は、以前資料で知った、この「大竹市原爆死没者慰霊碑・叫魂」を訪ね頭を垂れ撮影することでした。この慰霊碑が建立されている大竹地区にあるJR大竹駅は、JR広島駅から(現在電車で約40分、営業キロ数ですが)36.1kmありますが、国民義勇隊で出動した多くの人たちが亡くなり、原爆で傷ついた人たちの救護所が設けられ多くの方々が亡くなったことなどがわかりました。
 11.06.15裕・記編集

11.06.02撮影
広島県大竹市立戸1-6-1 大竹市中央公民館

11.06.02撮影

11.06.02撮影

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