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中区大手町の元安川緑地帯に広島市によって建立されている「広島瓦斯株式会社跡・原爆被災説明板」です。 |
広島瓦斯株式会社跡・原爆被災説明板 |
爆心地から約210m
当時町名:大手町3丁目(現在:広島市中区大手町2-5) |
鉄筋コンクリート造り、地上3階・地下1階建てのこの建物は、原爆により、南側の一部を残して崩壊し、屋内にいた約35人の職員は、全員が死亡しました。*
すさまじい爆風圧によって、各階の床と天井が1枚になって崩れ落ちました。 |
広島瓦斯(ひろしまガス)株式会社跡 佐々木雄一郎氏撮影 |
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(他の)広島市の資料によると、
広島瓦斯(株)の義勇隊隊員34名は天神町・木挽町の建物疎開作業出動中で全員被爆死されました。
建物内にいた35名は数名を除き即死、生き延びた方々もその後亡くなり全員死亡されました。
当日(8月6日)中国地方のガス事業統合会議に出席されていた他社の役員10名も死亡されたそうです。 |
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2000年に資料をみて元安川左岸に建立されている「広島瓦斯(株)原爆犠牲者追憶之碑」を訪ね頭を垂れたあと撮影しました。その時この「広島瓦斯株式会社跡原爆被災説明板」が根際に建立されていましたので撮影して、この頁を編集しました。 |
この原爆被災説明板の周りの状況がわかる画像がありませんでしたので撮影していました。
2014年になりましたが画像を加え資料を見直し再編集しました。 |
被爆説明板に取り付けられている画像、碑文が変わっている被災説明板が散見されますのでこの広島ガスはと2019年にみて撮影しました。以前の画像、碑文とも変わっていないようでしたが、この頁を更新しました。
2019年8月平和記念資料館東館地下1階で展示されていたパネルをみていると、ここで取り上げている原爆被災後の広島瓦斯(本社)が別角度から撮影されていましたので、フラッシュを焚かず撮影しました。 |
20.03.20.更新 00.11.30裕・記編集 |
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00.11.11撮影 |
広島市中区大手町2‐12 元安川緑地帯
広島瓦斯(株)跡原爆被災説明板 と 広島瓦斯(株)原爆犠牲者追憶之碑 |
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(原爆被災板の画像を使用しています) 佐々木雄一郎氏撮影 |
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11.12.10.撮影 |
(東側の道路の方から原爆被災説明板みました) |
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19.02.25.撮影 |
(東側の方から原爆被災説明板みました) |
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19.02.25.撮影 |
原爆被災説明板碑文は以前のままでした(上記) |
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19.08.22.平和記念資料館東館地下1階展示パネル撮影 |
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(袋町にあった)富国館
鉄筋コンクリート造 地下1階7階建
爆心地330mから
210m 広島瓦斯本社
200m広島銀行集会所
(原爆ドームも写っています)
元安川に架かる元安橋
西詰めには燃料会館 |
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19.08.22.平和記念資料館東館地下1階展示パネル撮影 |
(原爆被災後の)広島瓦斯 元安橋 1946(昭和23)年西林正道さん撮影 |
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