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中区東白島町の円光寺墓苑に建立されている(されていた)「円光寺門信徒戦争原爆犠牲者之碑」です。
※2015年(被爆70年)訪ねた時、この碑は撤去されていました。 |
碑石は、1943(昭和18)年11月にニューギニアで戦死された方の墓石であったが無縁仏となったのを機に、先代御住職が門信徒の第二次世界大戦と原爆犠牲者の供養碑として改装されたそうです。
京橋川川原などで焼却されたおびただしい数の死者の遺骨(無縁仏)が運ばれ、また門徒200名近い方々が犠牲になり、浄土真宗では慰霊ということをいわない※そうですが、1975(昭和50)年8月慰霊碑が建立されました。
これは異例のことと聞きますが供養塔なのだろうと思っています。
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※浄土真宗大谷派の資料によると、
『・・・死者の霊魂の存在を認めることのない仏教に、死者の霊を慰める儀式があるはずはありません。
供養は仏教にあって大切な事柄でありますが、「死者の冥福を祈る」ためになされることではありません。
「戦争犠牲者法要」も、もし「慰霊・鎮魂」の気持ちで行われるならば、それは「気の毒だ」という高慢な感情の表れか、「安らかに眠って、恨みをもって、たたったりしないでくれ」という、利己的な功利心の現れと言えましょう。そのような「慰霊・鎮魂」は、仏教(特に真宗)ではないばかりか、むしろ非人間的な心と言わざるを得ません。・・・』と云っています。 |
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境内の整備で、この碑の撤去を考えていると現在の御住職にお聞きしていたとおり、2015年訪ねた時には撤去されていました。 |
2006年1月交流ウォークで円光寺を訪ねたのは、原民喜のお墓にお参りすることだけで、この碑のことは知りませんでした。この碑のことは、資料で知ったので、7月になって、訪ねこの頁を編集しました。 |
2015年久しぶりに訪ね、この碑が撤去され、跡が(無縁仏の)礼拝場のように整備されていましたので、撮影し、この頁を再編集しました。 |
15.04.26.再編集 06.08.21裕・記編集 |