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東区牛田旭にある竹藪で「ピカドンたけやぶ」と名付けられている竹藪をここでは取り上げています。 |
ピカドンたけやぶは、1945(昭和20)年8月6日原爆が投下された際、多くの市民が避難したと云われる牛田旭2丁目にある竹薮です。
はらみちをさんが創作した「ピカドンたけやぶ」という絵本でその名が広まりました。 |
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現地には、「ピカドンたけやぶ 原爆生き証人」「被爆者を救った」と刻まれた石柱が建てられていますが、爆心地より2km以上離れていますので広島市が設定している被爆樹木のリストにはこの「たけやぶ(竹薮、竹)」は入っていません。 |
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合唱劇「ピカドンたけやぶ」は、絵本原作:はらみちをさん、構成:小田健也さん、作曲:藤村記一郎さんで、あらすじは、現代の広島の少年ヒロシ君が、竹藪の中で戦争中にタイムスリップ。
竹藪に逃げ込んだ動物たちや、火傷を負った少年カズユキ君と出会い、ヒロシ君と動物たちは、カズユキ君に水を与え、つわぶきの葉で火傷を癒して必死で看病します。やがて、カズユキ君は元気を取戻し、ヒロシ君たちは喜び合い、竹藪に感謝し、竹藪は平和を守る家・竹藪はみんなの母親・竹藪はみんなの病院・竹藪はピカドンから命まもるものとして演じられるそうです。 |
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はらみちを(1928-2021) |
兵庫県神戸市生れ。本名:梶原充雄(かじはら・みつお)。
脳性小児麻痺のため、お母さんに背負われて学校に通う。
1968(昭和43)年頃から母をテーマに創作詩画として独自の世界を作り上げる。
1970(昭和45)年中国新聞80周年記念論文「人間」最優秀賞。
2006(平成18)年4月はらみちを美術館三次市(旧君田村)に開館。(現在広島市東区在住※1)
2021年5月12日三次市内の病院で死去。享年92歳。 |
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※1 |
2014年6月20日中國新聞報道で「はらみちをさん 三次市君田に移住」された事を知りました。
1968(昭和43)年から東区牛田に住んでいた自宅の借地がマンション建設計画地になったことで、高齢で一人暮らしだったので
2014年6月19日「君田トエンティワン」(障害者支援施設)に入所。今後、はらみちを美術館などで詩画教室などを開いて過ごされるそうです。 |
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2008年5月交流ウォーク探検隊で牛田地区を遊歩した時、撮影し編集した頁は「ピカドンたけやぶ」というよりも、はらみちをさんのアトリエの紹介になっていたようです。
2009年「ピカドンたけやぶ」を中心に撮影しましたので、以前の頁は「はらみちをアトリエ」と改題して別頁にしました。 |
2014年新聞報道で、はらみちをさんがお住まいだった処がマンション用地となったことを知りました。 |
2015年久しぶりに立ち寄ってみました。
家屋が解体され「ピカドンたけやぶ」の全容を見ることができるようになっていました。今後マンションが建てばこの方向(下の方)からは「ピカドンたけやぶ」は見ることができなくなるだろうな〜と思いました。
また、ピカドンたけやぶの地もマンション用地となるかもしれないと思ったりしました。 |
2021年5月27日中國新聞で、はらみちをさんが5月12日三次市内の病院で亡くなったという報道で知りました。92歳の生涯だったそうです。21.05.28.追記 |
15.09.01.再編集 09.03.20 裕・記編集 |