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中区白島九軒町の通称・白潮公園に建立されている「白島九軒町・原爆死没者慰霊碑」です。 |
正面: |
原爆死没者慰霊碑 |
裏面: |
原爆死没者を火葬にしたこの地に慰霊碑を建て哀悼の意を表すと共に世界平和を念願する。
平成10(1998)年4月吉日建之 白島九軒町町内会 会長 国分良徳 |
(建立趣意) |
爆心地より1.7km離れた白島九軒町は、被爆後火災によりほとんど焼失しました。
火に追われこの河原に避難し火傷、負傷で苦しみながら悲惨な死を遂げた町民を火葬にしたこの地に、慰霊碑を建立し死没者の冥福を祈るとともに世界平和を祈念します。白島九軒町町内会 |
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広島原爆戦災誌によると |
『被爆直前の白島九軒町は建物戸数500世帯数375住民数1390人で、原爆による被害は家屋全壊100%。人的被害は即死者10%、負傷者80%、無事10%とあります。
白島九軒町は非常の場合戸坂村、口田(くちた)村の国民学校あるいは祇園町西原の神社に避難するように指定され、常葉橋(爆心地より≒1550m)または神田橋(爆心地より≒2030m)経由でということ』になっていたようです。 |
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おじさんの‘原爆記’にもここ白島九軒町の被爆後の混乱ぶりが垣間みられる記述があります。
2001年4月と11月慰霊碑の前で頭を垂れた後撮影しこの頁を編集しました。
2006年訪ねたとき慰霊碑の横に被爆六十周年慰霊植樹が行なわれていました。別頁で編集しました。 |
久しぶりに2012年訪ね撮影しました。2015年にも訪ね、この頁の画像などを見直し再編集しました。 |
この地(中区)白島九軒町、京橋川対岸の(東区)牛田に生れたわたしですが2001年から意識してこの慰霊碑をみてきただけですが、被爆しこの地で亡くなっていた人たちを火葬せざるをいなかったと聞くこの地を、被爆70年のことし撮影しながら、その情景を目にすることはなかった(戦後生まれの)わたしには伝承することへの困難を思うばかりでした。 |
19.10.25.更新 15.04.29.再編集 01.11.30裕・記編集 |