寺橋(拡幅後)

  広島市安芸区中野5丁目と中野東7丁目を結び瀬野川に架かる寺橋の拡幅工事が行われ(完成した)「拡幅した寺橋」を取り上げました。
※4径間の鉄筋コンクリート橋。橋長は54.8m、幅員は5.1mから5.9mに拡幅されました。
 ただし、拡幅後は、車両総重量14.0トン未満の車両しか通行できなくなっています。
※2020年から2022年にかけ2期に分けて寺橋の拡幅工事が行われました。(下の断面図のように)
1982(昭和57)年7月仙台支店からふるさと広島支店に転勤になり、(当時名称)広島電機大学高城体育館新築工事のいち担当員になったのです。
当時、下流側の平原橋は大型車進入禁止だったので、この寺橋を利用せざるをえなかったのです。
生コン車や鉄骨運搬のトラックなどは、幅員が狭くこれら大型車両との離合は困難で、コンクリート打設時や鉄骨搬入時には国道2号(左岸)側と右岸側にガードマンを配置して交通整理をしたことを思い出す橋なのです。
〔*生コン5立米≒11.5t。生コン車重量≒8.4tということで、拡幅後では通行できないのです。〕
  関連頁:高城体育館
その後、わたしは電機大学2号館の建設担当時(平成はじめ)に、妻の了解得て、終の棲家を(左岸側の)中野東に決めたのです。終の棲家ゆえに、会社退職後の現在も住んでいるのです。
  そして、単科大学・広島電機大学は、1999(平成11)年総合大学・広島国際学院大学と名称も変わりました。
2022(令和4)年拡幅されたこの寺橋を見て、40年ほど前の高城体育館工事のことを思い出すのです。
その広島国際学院大学は、2023(令和5)年春最後の卒業生を送り出し、閉校になってしまいました。
終の棲家のわが家も息子たちは出て行き、妻を喪い、わたし一人で住むようになっているのですから時の流れを書き留めて置かなくては、思い出せない時が来るかもしれないと書き留めることにしたのです。
また、高城体育館の工事をしていた時に、中野東の上の方に広島東バイパスの計画があると聞いてはいたのですが、なかなかその工事は目に入ることはなかったのです。
2006(平成18)年海田から中野ICまで部分開通し、
2013(平成26)年中野ICから瀬野西ICまでつながり、
やっと2023(令和5)年3月19日海田から東広島市・八本松まで全開通したのですから昭和・平成・令和と長くかかりました。耳にタコがでる話が現実になったことを知らないまま天国に行った妻に聞いてもらわなければならない話なのです。
 
国道2号(左岸)側から橋半分と、右岸側から残りの橋半分と、2期に分けて工事がなされた拡幅工事を時々撮影していましたが、なかなか編集しようとならなくて、その前に拡幅が完成したこの頁から編集することにしたのです。
 23.09.07.裕・記編集

22.08.13撮影
耐荷重14t 広島市安芸区中野5丁目と中野東7丁目を結ぶ寺橋  (を国道2号側みました)

22.08.13撮影
拡幅した寺橋

22.08.13撮影
歩道部と想定している緑色床の水勾配がまずく雨水が溜まっています

22.08.13撮影

22.08.13撮影
寺橋 てらばし
*拡幅前の橋名板は“てらはし”だったのです

22.08.13撮影
国道2号線側を右岸側からみました  (スーパーのラムー)

22.08.13撮影
(下流替わり違って未整備の)河川敷に降りてみました

22.08.13撮影
増設の張出スラブをみました (排水用の樋が見えます)

22.08.13撮影
橋梁部分の橋脚補強をみました

22.08.13撮影
梁下の補強部分をいました

22.08.13撮影
梁下部分の橋台も補強がなされていました

22.08.13撮影
上流側の増設の張出スラブもみました



「わが町附近」編


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