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この頁では、広島藩の旗印「三引き」につい取り上げました。 |
(中央通りの)歩道のパターンデザイン |
歩道にデザインされている三つのラインは、江戸時代の「三つ引」の紋をモチーフとして、国際・平和・文化という広島市の都市づくりの理念を表しています。
江戸時代、この「三つ引」は、広島藩や藩庁に出入りする商工人の荷印などにも使用されていました。 |
明治になって川の流れを表現するカーブをつけて広島市の市章になりました。 |
こうした城下町400年の歴史の上に、中央通りの繁栄と新しい空間づくりが実現していくことを願っています。 1994(平成6)年3月 |
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用聞商人の荷印の一例 |
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説明板に、用聞商人(美屋)の荷印がありましたが、用聞(ようもん?)?と思ったのです、よく考えれば「御用聞き(ごようきき=得意先を回って注文を聞くこと)」という言葉があったなと、気が付きましたが、 |
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辞書を引けば、用達(ようたし=役所・会社などに出入りして品物を納めること。また、それをする商人)とありました。
御用達という言葉は知っていたな〜〜と思ったのです。 |
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広島市市章は、芸藩旗印であった「三つ引」に川の流れを表現するカーブをつけてたもので、明治29(1896)年5月19日に制定されています。 |
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浅野家の家紋は「丸に違い鷹の羽です。---→ |
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2008年交流ウォークの時、中央通りの西・東側の両歩道に説明板が設置されていることを教えてもらいました。旧藝藩の旗印となっていたという「三つ引」御用商人も使っていたことを知りました。 |
2015年久しぶりに(下段画像:交差点向う側の)堀川町原爆慰霊碑を撮影に行きましたので、この碑も撮影しました。
浅野家家紋についても触れ、旗印との違いを追記しこの頁を更新しました。 |
15.08.30.更新 08.10.24裕・記編集 |