みょうせんじ
明泉寺

  南区段原に建てられている「明泉寺」です。
明泉寺は、1620(元和6)年頃建立されたと云われている、浄土真宗大谷派のお寺です。
被爆した建物として(移設された)山門が残されています。
     被爆建物 A-bombed Building
被爆時の名称:明泉寺 Myosen-ji Temple
   (爆心地から1,900m)
この山門は、再開発により当時の場所から約15m南に移動していますが、昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。
   広島市 The City of Hiroshima
1945(昭和20)年8月6日原爆で本堂、庫裡は柱・梁のみとなりますた。
しかし、山門(大正初期・木造)だけは倒壊を免れたそうです。
この山門は、段原再開発のために、1995(平成7)年に≒15m南に移動されています。
山門横の松は被爆樹木です。(このマツは2013年枯死したそうです)
爆心地より≒1,900m      (被爆当時:段原東浦町)
2004(平成16)年7月交流ウォークのときに被爆し山門であることを教えていただいたのです。
2006年6月になって再び訪ね山門を撮影しました。また、お寺を比治山公園の方からみました。
2015年比治山付近の原爆関連の慰霊碑を訪ねた時に、比治山公園からここ明泉寺をみたのです。
この時、被爆した山門の根際にあったマツがないことを知ったわたしでした。また、浄土真宗のお寺ではなく浄土真宗大谷派のお寺であるそうですから今回訂正しました。
コロナ禍の2021年7月段原地区に来ましたのでこの山門も撮影しました。
2006年には設置されていなかったが2008年には設置されていた被爆建物標識も撮影しましたので今回掲載(上記)しました。
22.07.19.更新   16.04.07.再編集   04.08.10裕・編集

04.07.10.撮影
広島市南区段原3-11‐9

06.06.01.撮影

06.06.01.撮影
大正初期建造の山門は原爆にも耐え段原開発で移動しましたが現在も保存されています

06.08.06.撮影
(山門横の被爆マツも健在です)

08.11.15.撮影
被爆した山門と戦後建てられた本堂

15.09.05.撮影
墓苑と被爆した山門をみました (山門横の被爆マツがありません)

21.07.21.撮影
被爆した山門をみました

21.07.21.撮影
山門横の塀に被爆建物標識が設置されています

21.07.21.撮影
山門の妻側をみました

21.07.21.撮影
境内側から山門をみました



「神社寺院など」編


「被爆した建物・構築物」編



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明泉寺
(明泉寺)被爆したマツ


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