光隆寺

  西区三篠に建てられている「龍泉山・光隆寺」です。
光隆寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。
1656(明暦2)年(当地の医家長男)高科馬之進が京都・本願寺第13代良如(1613-1662)上人に帰依し剃髪して法名「奥隆」をたまわりそれが光隆寺初代とされています。
2代「恵玄」が阿弥陀堂を修復し『奥隆寺』と称しそのころは真言宗だったようです。3代「光隆」になり1717(享保2)年に真宗に改宗し寺号を『光隆寺』と改めました。その後12代「僧鎧」の明治時代までは現在のJR横川駅の場所にお寺は位置していました。
1895(明治28)年山陽鉄道の布設で立ち退く事になり現在の広電一丁目駅の西側に移転し1807(明治30)年までに本堂などの移転が完了しました。しかし1935(昭和10)年市内電車の複線化で再度移転のやむなきに至り、現在(本堂がある)三篠町一丁目に同(昭和10)年に移りました。1945(昭和20)年原爆により諸堂宇は灰燼に帰しましたが、1960(昭和35)年本堂が再建されました。
*資料はご住職に頂戴した寺報「慈光」を参考にしました。
2004年交流ウォーク時に墓所(横川町)と本堂がある三篠1丁目と2回に分けて訪ねたのです。
墓所には被爆した墓石がみられ、戦後再建されている本堂の西側には被爆したクスノキが青々とした姿を見ることができました。2006年の交流ウォークの時はお寺の縁起などご住職のお話を聴くことができました。
2010年被爆したクスノキをみに行った時、本堂根際で庫裏の建替工事がはじまっていました。
2010年工事中だった庫裡2011年には完成していたでしょうが、2020年になりましたが被爆したクスノキを見に行ったときに撮影しましたので、この頁を更新しました。
 21.04.04更新   04.10.10裕・記編集

04.10.15.撮影
広島市西区三篠1丁目6番9号

06.03.17.撮影

06.10.21.撮影
原爆で全焼した境内で残ったクスノキ 2006年交流ウォークの時はご住職にお寺の縁起などを聴く  

10.11.17.撮影
昭和35(1960)年建立の本堂

09.10.10.撮影

10.11.17.撮影

20.09.15.撮影
(≒西南境外からみました)

20.09.15.撮影
(本堂みました)

20.09.15.撮影
(庫裡をみました)



広島の神社寺院」編



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光隆寺
(被爆した樹木)クスノキ
(別場所)墓苑で被爆した墓石


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