|
南区丹那町に鎮座している「穴神社」です。
※穴神社社殿は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から3,840mで被爆した建物です。 |
祭神:少名毘古那神(すくなひこなのかみ)
相殿神:猿田毘古神、弥都波能売神、奥都日子神、奥都日売神、大年神、大穴牟遅神
1731(享保16)年創建といわれています。この浦は早くより漁民が居を構え、専ら漁を事としていましたが、たまたま疫病が流行したので、神を祀り神助を仰ぐと漸く病む者が無くなりました。そこで社殿を建て崇敬の誠を致したということだそうです。
『芸藩通志』※に安那社と記されているそうで、1814(文化11)年丹那古絵図に穴神社と書いてあるそうです。この附近に海洞があり、その海洞の上に社殿を建てたから穴神社と呼ばれるようになったとも聞きます。 |
※ |
芸藩通志は、1825(文政8)年全159巻159冊。頼杏坪らが編纂。
地誌「芸備国群志」(1663年)を改訂増補、1819年〜1820年に藩内の記録、古文書などを集め、調査を行ってまとめられました。著書名が「藝(安藝)」のみとなっているのは、備後国の分はなく地誌が広島藩領のみであるためだそうです。
|
|
資料を見ていたら被爆建物として紹介がありました、1920(大正9)年竣工、構造は木造平屋。 |
爆心地から≒3,840m 被爆当時町名は仁保町 |
※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 |
|
広島市は1993(平成5)年『被爆建物等保存・継承事業実施要綱』を制定しています。その補助で保存工事をした被爆建物に穴神社もあり補助を受けています。
1998(平成10)年 穴神社本殿の修復(18万円) と資料にありました。
広島県神社誌をみると、相殿神の紹介がありましたので、2012年のいまになりましたが追記しました。 |
12.03.27更新 05.01.03裕・編集 |
|
|
04.12.11.撮影 |
広島市南区丹那町23-11 |
|
04.12.11.撮影 |
穴神社、東側の鳥居と石段 |
|
04.12.11.撮影 |
社 殿 |
|
04.12.11.撮影 |
04.12.11.撮影 |
拝殿 |
本殿 拝殿
|
|
07.12.26.撮影 |
拝殿 |
|
07.12.26.撮影 |
(拝殿内部) |
|
07.12.26.撮影 |
拝殿、幣殿、本殿:一間社流造、桟瓦葺 |
|
08.02.02.撮影 |
|
11.02.12.撮影 |
(2011年にも参拝しました。レンズに雪が付いたようです) |
|
|
04.12.11.撮影 |
|
アラカシ?の大木 |
(標柱には)大正十年四月建之 丹那區 |
(あらかし)
粗樫: |
ブナ科の常緑高木。本州中部以西に多い。高さ約20mになる。
葉は楕円形で硬く、裏面は灰白色。四月頃雄花と雌花が同株につき、堅果(どんぐり)は晩秋に熟す。材はかたく、細工物や建築材などに適する。 |
|
穴神社移築記念碑 |
穴神社改築記念碑 |
昭和四十二(1967)年六月四日 |
|