(広島国際学院高等学校)鶴虎太郎先生之像

  安芸郡海田町曽田の広島国際学院高等学校に建立されている「鶴虎太郎先生の像」です。
※像の作者は、松本隆司です。
    愛は教育なり
鶴虎太郎(1870-1951)先生は福岡県柳川市(当時・山門郡柳河町)に出生明治二十九(1896)年教理学会を創設以来六十有余年各種の学校を経営され宗教を通じ愛の教育にすべてを捧げられました
先生は大正十四(1925)年広陵中学校を退職された時すでに将来電気の時代の来る事を達見され私学の行くべき道に思いをかたされ広島電機高等学校を創立されました
 ※ 関連頁:(広陵高校)鶴虎太郎先生之像
広島国際学院高陶学校略沿革  (学校沿革資料など参照)
1927(昭和2)年 鶴虎太郎が広島市国泰寺町に広島高等予備校を創立
1938(昭和13)年 広島高等予備校に広島電気学校を併設
1945(昭和20)年 広島市への原子爆弾投下により全施設を焼失
1946(昭和21)年 広島市から安芸郡奥海田村へ移転
1948(昭和23)年 学制改革に伴い広島電機高等学校に移行開設
1999(平成11)年 広島国際学院高等学校に改称
2016(平成28)年 新校舎建設開始(海田町曽田1の関西軽金属跡地に)
2018(平成30)年 新校舎完成
2019(平成31)年 広島国際学院中学校が開校
現在、国道2号沿い(関西軽金属跡地)の新校舎で開学していますが、それまでは蟹原2(三迫川西側)に校舎がありました。
海田町略歴沿革
1889(明治22)年4月1日町村制施行で、安芸郡海田市町と安芸郡奥海田村が発足。
1952(昭和27)年6月旧奥海田村が町制施行して安芸郡東海田町となりました。
1956(昭和31)年9月30日海田市町+東海田町=安芸郡海田町が発足しました。
平成になって、国道2号沿いの関西軽金属の地に新校舎の計画があることを知りました。
関西軽金属から校舎地として買い受け、2016年から校舎棟、アリーナ棟の建設が始まったところを国道2号を走る車の助手席から間近にみていました。
2018年新校舎完成してからここで取り上げた「鶴虎太郎先生之像」も旧地から移設されたのでしょう。2023年になりましたが撮影してこの頁を編集しました。
新校舎完成時この像の経年の汚れをクリーニングされてから移設されておればと卒業生でもない部外者のわたしが云うのは筋違いとは思いますし、
"愛は教育なり"と云われ開学された鶴先生ですから「汚れを落としてから移設するものだ」などと声高に叱責はされないでしょうが。写真で拝見する鶴先生とはあまりにも異なっている現状の姿です(から)。
 23.07.08.裕・記編集

23.05.01.撮影
広島県安芸郡海田町曽田1-5 広島国際学院高等学校

23.05.01.撮影
 
23.05.01.撮影
          鶴虎太郎先生之像

23.05.01.撮影
1965(昭和40)年建立以来〔の汚れが目立ちます〕

23.05.01.撮影

23.05.01.撮影
(松本)隆司作

23.05.01.撮影
台座裏側に碑文板(碑文は上記)



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