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安芸高田市八千代町下根に鎮座している「亀山神社」です。
*三段に分かれた長い石段の上の狭い敷地に鎮座した神社です(ので)。
老人のわたしには、石段に手摺が無くて後戻りできず上りましたが、長い石段を上ることに不安の方は石鳥居右横からはじまる坂道がお勧めです。〔わたしは、参拝後この坂道をのんびりと下りました〕 |
祭神:帯中津彦命、品陀和気命、五十猛命、高御産巣日神、豊玉毘売命、天之水分神、須佐之男命
由緒:正平2(1347)年周防国より勧請し、以後下根村の総産土神として祀る。
天文元(1532)年井上左馬之助が再建。以後天和2(1682)年、宝暦9(1759)年の棟札が存す。 |
(たまどの)
玉殿: |
字引を引けば、「立派な御殿」とあります(が)。
ここでは、「社殿内に安置されている(神社)建物」のことです。 |
五基の玉殿の内二基は他からの合祀社と考えられる。残る三基は天正11(1583)年造立の本来の玉殿と推定され、彫刻の美しさ、手法の細やかさなど、爛熟期の桃山時代独特の華麗な意匠を発揮した傑作です。 |
安芸高田市教育委員会資料を使用 |
様式から推定すると16世紀後期の造立とみられれ三基とも同一形式です。一間社切妻造りこけら葺、正面・側面に台輪鳥居、盾型玉垣を配し全体極彩色で桃山時代の華麗な意匠の中に蟇股や木鼻には室町代の名残を留めており、細部意匠に優れた神社建築です。 |
社殿前設置の説明板 |
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1889(明治22)年4月1日 |
町村制施行時
高田郡刈田村(=佐々井村+勝田村+土師村)
高田郡根野村(=向山村+上根村+下根村※) |
1955(昭和30)年3月31日 |
刈田村+根野村=高田郡八千代村発足 |
1960(昭和35)年4月1日 |
八千代村が町制施行で高田郡八千代町となりました |
2004(平成16)年3月い日 |
高田郡全六町が合併して安芸高田市発足 |
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梅雨入りしている2023年6月10日雨が降らなければどこか行きたいところに連れて行こうと息子が云ってくれたのです。
資料を再度みて、八千代町にも原爆慰霊碑が建立されていることを確かめ、連れて行ってもらったのです。
撮影後、周りを見まわしたところで、ここで取り上げた幟が立っている〔お祭りが次の日6月11日(日)のようでした〕鳥居が目に入りましたので、参拝することにしましたが、最初に書いたように長い石段で手摺無き石段で戻りに戻れず上りましたが、いまの老人のわたしには難渋しましたので。 |
23.06.21.裕・記編集 |