(松雲山)西江寺
  三次市三次町に建てられている「松雲山・西江寺」です。
西江寺(せいこうじ)は、松雲山と号し臨済宗妙心寺派に属します。
恵美押勝が比叡尾山麓に薬師如来を本尊と仰ぎ一寺を建立し、医王山高源護国寺と称しました。
三吉氏が平田慈均和尚を開山として再建、天文年間(1532-1554)に兵火にあいますが、比熊山城入城に伴い城内に建立しました。
のち、尾関氏が尾関山城内に移し西江寺と改めました。
境内には三吉広高と尾関正勝の墓があります。
三吉広高(みよし ひろたか)
三吉氏は、鎌倉時代初期から三次地方を支配した武士で、広高はその第十五代領主です。
三吉氏ははじめ畠敷の比叡尾山に本拠地をおきましたが、戦国時代末期の天正19(1591)年広高のとき三次の比熊山城へ移りました。慶長5(1600)年関ヶ原の戦いに敗れ*、広高は三次の地を去りましたが、のち三次へ戻り、ここ西江寺へ葬られました。
毛利元就(1497-1571)に従属後、毛利氏に従い関ヶ原の戦いに参戦、毛利輝元(1553-1625)は不戦敗ののち防長移封となりましたが、広高はこれに従わずに浪人して京都に上り、後に広島藩主となった浅野氏に取り立てられました。
尾関正勝(おぜき まさかつ)
広島藩主・福島正則(1561-1624)は領内の要地に重臣を配置し、出雲国へ通ずる交通要地の三次へは正勝(知行高一万二千石)を配置しました。
尾関山は、もと積山といっていましたが、正勝がこの山に城を築いたことからついた名前です。
正勝は、もと三吉氏の菩提寺であった高源寺をこの地に移して西江寺と改めました。
JR西日本乗り放題切符で三江線の尾関山駅でおり駅を撮影することが主目的ではあったのですが、次の列車までの待ち時間があり過ぎましたので、駅近くでの見どころはと思って地図をみて計画することにしました。
少し離れていましたがこの西江寺がありましたが、縁起がわかれば撮影しようと思っていたのです。三次市設置の説明板(上記)がありましたので、撮影しこの頁を編集しました。
13.12.30.裕・記編集

13.10.19.撮影
広島県三次市三次町1078

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影

13.10.19.撮影



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