一. |
昔「日朝の出より夕日の入るまで輝き照らす」聖の山として日向山(=比熊山)頂上に天津磐境(あまついわさか)を設け祭祀を行っていました。 |
一. |
808(大道3)年比熊山東麓に太歳神社が創立されてよりは頂上の祭祀は廃止されました。 |
一. |
中世に至り天正年間第13代三吉安房守致高が比叡尾山から比熊山に城を移した時築城の礎石に使用したようです。 |
一. |
1632(寛永9)年浅野因幡守長治が三次藩五万石として分封された折り、築城の代わりに三次周囲に堤防を築いたその堤防に使う石を比熊山の城跡の石垣石を山上より中所に転じ落として利用した。その中に磐境の神籠石があることを知り、長治はさすがに堤防への利用はせず(一部は波跳石として使用されたとも伝わるが)、住吉神社の西側に保存しました。 |
一. |
この神籠石(こうごいし)は、1895(明治28)年日清戦役の戦捷記念碑の台石に利用され、松原公園に建設中に道路拡張工事のために太歳神社に戻されました。 |
一. |
現在は台石としてでは粗末になることから、神石と刻書して保存しています。
地上高:270cm、胸高周囲:370cm |