(長福寺) 田所氏墓所
  安芸郡府中町宮の町の長福寺に建立されている「田所氏墓所」です。
天龍山長福寺は、曹洞宗國泰寺末寺で、本尊は阿弥陀如来です。
1025(万寿2)年田所氏の祖資遠が祖先の霊を祀るため建立したと伝えられ、田所氏の菩提寺で、のち戦国時代に出張城主白井氏の菩提寺となったともいわれています。
1764(明和元)年一度焼失し、1787(天明7)年國泰寺座主・智外和尚が再建し、曹洞宗となりました。再建を記念しての開山塔があります。現在の本堂は1999(平成11)年に再建され、2000(平成12)年に落慶法要が営まれました。
田所氏の墓は一族の石井、三宅氏のそれらとともに寺門を入った右方にあり、数十基の墓石がありますが、多くは江戸時代のものです。
田所氏は、奈良時代以前の安芸国造であった飽速玉命(あきはやたまのみこと)の出自(姓佐伯氏)と伝えられ、佐伯氏は国司制度が確立してからは佐伯郡司に任命され、また厳島明神・芸州国府八幡祭祀のときは国府泰幣使代も務めました。
平安時代のはじめ頃田所氏(田所氏は姓を佐伯のほか三宅、石井とも称し、平安期の職名「田所」を本姓としたと伝わり)は五日市から府中に移り、以後国府の在庁官人として安芸国の政治を掌るとともに、厳島神社の厳島国府上卿(しょうけい)として祭主も務めました。
今の石井城跡の地に広大な屋敷を有し1072(延久4)年に国庁神社を建立、朝夕長官をはじめ約40人の所従が厳島の方向に向かって礼拝していました。
1690(元禄3)年に現在の地に移り(芸州厳島絵図に明神殿は厳島遥拝所と記されています)、現在の田所明神社社殿は1998(平成10)年再建されたものです。
2008年長福寺を訪ねた時に設置の説明板でここで取り上げた田所氏の墓所はあそこなのだろうと思っただけでしたので、2012年に訪ねた時に撮影していました。
撮影画像を整理している2015年のいまになりましたが、この頁を編集しました。
15.02.27.裕・記編集

12.06.02.撮影
広島県安芸郡府中町宮の町3-2-16

12.06.02.撮影

12.06.02.撮影

12.06.02.撮影

12.06.02.撮影

12.06.02.撮影

12.06.02.撮影
田所三十代元久
安永九(1780)年庚子 二月初■日
田所三十代元久室女



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