とううんじ
洞雲寺

  廿日市市佐方に創建されている「応龍山(おうりゅうざん)洞雲寺」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第八十二番霊場です。
洞雲寺は、曹洞宗のお寺で、本尊は釈迦如来です。
創立は長享元(1487)年、開山は曹洞宗開祖道元(1200-1253)禅師につぐ宗内きっての傑僧・金岡用兼(1438-?)和尚です。厳島明神並びに、当時の厳島大官司職下野守藤原教親公の帰依により創建せられた。
洞雲寺は、大内氏の重臣陶氏の菩提寺である。 山口県・龍文寺の僧金岡用兼(きんこうようけん)を開祖とし、桜尾城主であった厳島神主藤原教親・宗親父子により、長享元(1487)年その菩提寺として創建された曹洞宗の禅院である。
金岡禅師は当時、名僧として名高く、本山永平寺の諸伽藍の復興をなしとげ、また、阿波国(徳島県)の守護大名細川成之(1434-1511)の帰依を受け、同国の丈六寺と桂林寺も管轄していた。現在、洞雲寺に所蔵されている「正法眼蔵」(県重文)は、禅師みずからがこの桂林寺において書写したものである。
藤原氏は宗親のあとも代々菩提寺として洞雲寺に領地を与え、その死亡後も代わって大内氏がこれらの寺領を認め、さらに毛利氏の時代には、重臣の桂元澄、ついで元就の四男元清が桜尾城代として洞雲寺を菩提寺と同じように保護したため、寺には40通に及ぶ戦国期の貴重な古文書(県重文)が残されている。また、寺内には藤原興藤(おきふじ)、桂元澄、毛利元清夫婦の墓や陶晴賢の首塚(いずれも市重文)などがあり、戦国期の興亡の姿をいまに語りかけている。これらを含め同寺には現在、県重要文化財7点、市重要文化財7点がある。
                                 昭和63(1988)年3月   廿日市市教育委員会
2007年廿日市のこの地区を訪ねるのは、はじめてで、交流ウォーク探検隊に参加していなければ、これからも知らなかったろ〜なと思ったのです。
この洞雲寺を案内していただき、(廿日市の)桜尾城主が厳島の神主であったこと、東の毛利氏、西の大内氏の狭間、抗争する地でもあったことを少しですが知りました。
07.09.08裕・記編集

07.04.12撮影
広島県廿日市市佐方1071-1

07.04.12撮影
山門 應龍山 山号額

07.04.12撮影
方丈

07.04.12撮影
第八十二番本尊 釈迦如来 四季折々美しいという庭園



広島の神社仏閣」編
(「広島新四国八十八ヶ所霊場」編)


「旧・廿日市町」編



広島ぶらり散歩
洞雲寺
  (境内社)厳島明神社
  おびんずるさま
  陶晴賢の墓
  友田興藤の墓
  桂元澄夫妻の墓
  毛利元清夫妻の墓
洞雲寺(設置の)境内図
弾丸列車(計画)用地杭


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