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広島新四国八十八ヶ所霊場は、大正7(1918)年に広島市を中心として安芸地区に開創されました。
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昭和20(1945)年8月6日(米軍による)原爆投下で巡拝不可能な状況となっていましたが。
昭和48(1973)年弘法大師(774-835)生誕千二百年を記念して八十八霊場が復活再興されました。 |
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「平成20(2008)年巡礼の手引き五版」によると広島新四国八十八ヶ所霊場は(新しく)再編成されました。
(源光院以外にも霊場を返上したお寺があり、戦後の再編成時からは更に再編成されました。) |
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平成31(2019)年度、3ヶ寺の霊場寺院が入替わることが“広島新四国八十八ヶ所霊場会”より告知されました。
(第11番札所が安楽寺。第65番札所が洞門寺。第85番札所が安養院。になりました。) |
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広島新四国八十八ヶ所霊場「巡礼の手引き5版」に、
『「温故知新」これは古きをたずねて新しきを知るということですが、広島新四国八十八ヶ所を巡拝することによって、古き歴史の中に生きてきた日本の故郷をたずねそこに生きている日本人の心を求めると共に現代に生かされることの自覚を新たにして頂ければと願っております。』と記述してあります。 |
昭和48(1973)年復活再興時は、巡礼番順に巡拝出来るようになっていたのでしょうが、
平成20(2008)年の入れ替わり等で、巡礼番号に関して地域的に飛んでいるものも散見します。
オヤジが眠る源光院は、以前第57番霊場だったのです。第58番霊場が安養院。第40番が吸光庵でした。
上記お寺は、平成20年の再度の編成で霊場から外れています。(2019年安養院は第85番として復活しています) |
2008年4月中区江波地区の龍光院で「広島新四国八十八ヶ所霊場・復興35周年記念法要:スタンプてくてくウォーク」帳をいただき、スタンプラリーに参加することにしたのです。
それは、精神的混迷を極めつつある現代日本を救うヒントが見出せるかもしれないとの思いがわたしにもあったからなのです。
お寺を巡りだしてから2008年9月30日までに88ヶ所霊場を巡拝することは(わたしには)到底無理だと実感しています。
しかし、歳月はかかろうともいつの日にか満願成就をとの思いは捨てきれないのです。
スタンプは頂いていない以前訪ねた寺院もありますが、一覧表のこの頁を2008年になり作成しました。 |
スタンプラリーが終わってもスタンプは備え付けられていると聞きましたので、2009年11月になってJR西条駅近くの国分寺と福寿院に立寄りお参りしスタンプ印を頂きました。
しかし、2010年10月安佐北区の福王寺、真福寺を訪ねお参りした後スタンプを探しましたが、(探し方が悪かったのか)備え付けられていないようでした。(ので)88ヶ寺のスタンプをいただくことはあきらめました。 |
2013年は、前回の復興35周年からすでに5年経っています。9月になって巡拝でお参りした呉市の法輪寺で新しいスタンプ帳が備えるけられていました。
まだまだ巡拝の満願とはなっていませんが、少しづつ巡拝していこうと改めて思っているところです。 |
2018年は、広島新四国88ヶ所霊場開創100周年ですの巡礼満願を期さなくてはと思っていました。
2018年4月22日(日)残っていた、呉地区の三ヶ寺(観音寺、三徳寺、浄空寺)を巡礼、88ヶ寺目となる浄空寺本堂前で、巡礼満願成就の感謝と共に手を合わせ頭を垂れました。-感謝感謝・・・合掌-
わたし自身が訪れお参りし、やっとやっとで広島新四国八十八ヶ所霊場巡礼満願成就のこの頁になることができました。 |
しかし、2019年になって、3ヶ寺の霊場寺院が入替わることを知ったのです。
(第11番札所が安楽寺。第65番札所が洞門寺。第85番札所が安養院。)
安楽寺は、過去に遡ってもお参りした事もなかったので、2019年9月になってお参りし、頁を編集しました。 |
19.09.18.再編集 18.05.03.更新(88/88) 08.08.06裕・記編集 |