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広島市安佐南区八木に鎮座している「大國神社」です。
*2014(平成26)8月20日年広島土砂災害でこの地区は被害も甚大で、この神社前の八木用水は土砂で埋もれました。
※神社内に、この地区で亡くなった12名の方々の名を刻んだ“鎮魂の碑”が建立されています。(別頁で編集) |
安佐南区区政振興課発行「あさみなみ散策マップ:八木ルート」によると『大国神社(だいこくじんじゃ)の由緒などは不詳ですが、地域住民が五穀豊饒、家内安全などを祈願しお祭りしています。
現在の社殿は、火災焼失後再建された社です。』とあります。 |
祭神はこの神社名から、大国主神だと思いますが、「だいこく」と呼ばれていることから、大黒天を祀っているのかも知れません。
また、相殿神が祀られているかもしれませんがその神々はわかりません。
(おおくにぬしのかみ)
大国主神: |
古事記に記された出雲神話の主神。日本書紀では大己貴神(おおなむちのかみ)。素戔嗚尊の子孫。少彦名神(すくなびこなのかみ)らとともに、国土を造って経営し、皇室の祖先に国を譲った。後世、大黒天と混同され福の神とされる。出雲大社の祭神。大国主命(おおくにぬしのみこと)。八千矛神(やちほこのかみ)。大穴牟遅神(おおあなむちのかみ)。葦原醜男(あしはらのしこお)。 |
(だいこくてん)
大黒天: |
七福神の一。狩衣に似た服を着て大黒頭巾をかぶり、左肩に大袋を背負い、右手に打ち手の小槌を持ち、米俵の上に座る像につくる。日本では大国主神と習合し、福徳の神として民間の信仰を集める。 |
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「あさみなみ散策マップ:八木ルート」に掲載がありましたので立ち寄りましたが、神社建立時期などの情報がわかりませんでしたので、参拝だけで済まそうと思っていましたが。標柱をみると(第12代廣島市長だった)田部正壮書と刻まれていましたので立ち止り撮影しました。 |
2023年8月新聞やTV報道を見ていると、ここ大国神社に慰霊碑が建立され、慰霊祭が催されたことを知りましたので、息子運転の車で連れてきてもらったて撮影したので、
“広島土砂災害後の2015年10月30日撮影”の項と“境内に広島土砂災害の「鎮魂の碑」が建立”の項を加え再編集しました。 |
23.09.28.再編集 09.11.15裕・記編集 |
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08.12.29撮影 |
広島市安佐南区八木3-17 |
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08.12.29撮影 |
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08.12.29撮影 |
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08.12.29撮影 |
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広島土砂災害後の2015年10月30日撮影 |
2014年8月20日の広島土砂災害でこの辺りは土砂が押し寄せ八木用水は土砂の中に隠れる事態となっていました。
ここ大国神社も土砂流入があったと思われましたが、社殿は大きな被害はないように(わたしの目には)映りました。
2015年10月30日に訪ねてみましたが、この地区の復旧にはまだまだ日時八木用水の復旧には。 |
2014年8月20日の広島土砂災害で梅林小学校が避難所になったからか、この辺りはTVニュースなどで取り上げられることが多く、JR梅林駅まで土砂が押し寄せ、この辺りの八木用水は場所がわからないほどの土砂に埋まっていました。大国神社の社殿は無事に見えましたが土砂の中にありました。
梅林小学校に土砂災害の慰霊碑が建立さたことを報道で知っていましたので、2015年10月訪ねたときに、この辺りを撮影したのです。 |
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15.10.30.撮影 |
八木用水の側壁崩壊部にまだ土嚢が積み上げられています |
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15.10.30.撮影 |
(災害時)大国神社に土砂が押し寄せ八木用水が土砂で埋めつくされていました |
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境内に広島土砂災害の「鎮魂の碑」が建立されています |
2014年8月20日の広島土砂災害でこの辺りは土砂が押し寄せ八木用水は土砂の中に隠れる事態となっていました。
ここ大国神社も土砂流入があったと思われましたが、社殿は大きな被害はないように(わたしの目には)映りました。 |
2023年8月新聞やTV報道を見ていると、ここ大国神社に慰霊碑が建立され、慰霊祭が催されたことを知りましたので、息子運転の車で連れてきてもらったのです。
この神社回りが広島土砂災害の復旧工事が終わった処でしたので撮影しました。 |
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23.09.23.撮影 |
(災害後九年たった)大国神社 |
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23.09.23.撮影 |
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23.09.23.撮影 |
道路沿いのスペースに「(広島土砂災害)鎮魂の碑」が建立されています |
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23.09.23.撮影 |
本殿の横に「鎮魂の碑}は建立されています |
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23.09.23.撮影 |
一間社流造り銅板葺き屋根の本殿を後側から拝見 |
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