丸木位里作:マッターホルン

  安佐北区可部の 広島市安佐北区民文化センターに展示されている丸木位里作「マッターホルン」です。
マッターホルン
贈 丸木位理 画伯  (安佐町飯室出身)
マッターホルン(Matterhorn)
欧州アルプス山脈中の高峰。スイスとイタリアとの国境に位置し、標高4,477m。山頂は氷食により鋭い四角錐をなす。1865年英国のウィンパーらが初登頂。仏語名モンセルバン。伊語名モンテチェルビノ。マッターホーン。
丸木位里 (まるきいり:1901-1995)
日本画家。広島県安佐郡飯室村(現・広島市安佐北区安佐町飯室)生まれ。
はじめ日本南画院展、1936(昭和11)年から1938昭和13(年までは青龍社(せいりゅうしゃ)展に出品。翌(1939)年美術文化協会結成に参加、1947(昭和22)年まで会員として活躍。また、1946(昭和21)年日本美術会創立にも加わる。1947(昭和22)年美術文化協会を脱退、前衛美術会をおこすが、1949(昭和24)年には同会を退き、以後無所属となる。
1941(昭和16)年赤松俊(とし:1912-2000)と結婚。1945(昭和20)年8月6日広島に原爆が投下されると、飯室の船宿をたたみ広島市の三滝(現・西区三滝)に移住していた父母など実家の家族の安否を気遣い、俊とともに被爆直後の広島に赴き救援活動に従事。この体験をもとに1950(昭和25)年妻の俊と「原爆の図」第一部「幽霊」を共同制作、同(昭和25)年第3回日本美術会アンデパンダン展に出品して大きな反響をよぶ。以後、「原爆の図」は、「火」「水」と描き続けられ、1953(昭和28)年これに対して国際平和文化賞(世界平和評議会による金メダル賞)が与えられた。これらを公開するため、1966(昭和41)年埼玉県東松山市移住、原爆の図丸木美術館を1967(昭和42)年開設。1970(昭和45)年米国各地で巡回展が催され、1984(昭和59)年までに15部が完成した。晩年は水墨による自由で力強い風景画の制作にも取り組んでいた。
安佐北区民文化センター玄関入ってロビーの壁の壁画がすぐに目に入りました。
離れたその位置でみた後、題名・作者プレートがあるのではと近づきみようとした時、横の壁に掛けられていた絵画がここで取り上げた「丸木位里作:マッターホルン」でした。
広島ゆかりの人として丸木位里画伯は取り上げなくてはならない人物なのですが、関連する項目がなかったので、いままで取り上げていませんでしたが、この作品の頁を編集することで取り上げられると思い、撮影しました。
広島県出身者であることは「原爆の絵」等の話題で知っていましたが、安佐郡飯室出身であったことはこの作品の反対側壁際に展示されている、ふすま絵に設置してあった丸木伊里略歴を読んで(わたしは)知りました。
13.04.03.裕・記編集

13.03.16.撮影
広島市安佐北区可部7-28-25  広島市安佐北区民文化センター

13.03.16.撮影

13.03.16.撮影

13.03.16.撮影



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