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安佐北区亀山のJR河戸帆待川駅前広場に建立されている「“河戸帆待川駅の由来”モニュメント」です。 |
河戸帆待川(こうどほまちがわ)駅の由来
初代天皇・神武天皇が日向の国から東征のおり、安芸国に行宮されました。その場所を埃宮と言い、その地が可部の庄の四日市あたりと伝承されています。この地に流れる川に帆待川があり別名・帆巻川とも言われます。
伝承によると天皇は行宮に際し当時の海岸に注ぐ川、帆待川を遡り舟山の麓に舟を繋ぎこの山に登ったと伝えられ別名を貴船山と古称されていました。また、帆待川は、可部川と落合、太田川への通舟の重要な河川となっておりました。
河戸帆待川駅名は、この帆待川からの由来であります。
平成29(2017)年3月4日 |
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埃宮(えのみや)
神武天皇東征の際、行宮 (あんぐう) の置かれたとされる所。現在の広島県安芸 郡府中町にあたるという。
辞書を引けば、上記のような記述にであいます。
古事記によれば「阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年」過ごしたということで、広島の地にはいろいろな伝承が今日にも伝えられています。
わたしが、訪ねた処だけですが、頁を編集していますので、よければ見てください。 |
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関連頁;「神武天皇伝承関連」編 |
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あき亀山駅を撮影して、ぶらり散歩しながら誓立寺、徳行寺などを横目に見ながら(≒800mの)ここ河戸帆待川駅に行きました。ここ河戸帆待川駅駅前広場に設置されている舟の模型に目が行きました。
2011年帆待川には神武天皇の伝承があることを知り頁を編集していましたので、その伝承をモニュメントで表そうとしたのだと思いました。また、可部の地は鋳物工場が発達していた地ですので、その技術でこのモニュメントが製作されたのだろうと思いました。 |
17.03.11.裕・記編集 |