(呉仁方)常盤橋

  呉市仁方桟橋通りと仁方錦町を結び(呉仁方)錦川に架かる「常盤橋(ときわはし)」です。
※ここで取り上げた「ときわ」と“常磐橋架換發起人金沢量三君功勞碑”の「ときは」は、発音的は同じように思いますが、現在橋は、盤〔皿〕ですが、碑では磐〔石〕と漢字が違っています。
※この頁下段には橋西詰にある「御大典紀念碑」を取り上げています。
特別なこともなく橋脚もない1径間のコンクリート桁橋を取り上げ頁を編集したのは、
この後錦公園前の緑地に建立されていた“常磐橋架換發起人金沢量三君功勞碑”をみたからで、関係はどうなのだろうかと引き返して現在橋をみたからでした。
“仁方歴史マップ”がNETでも公開されているマップとわかりましたので、機会を見つけいつかは仁方のまちをぶらり散歩してみようと思ったのです。
主目的になったのが「(呉市仁方)原子雲の下で」発刊記念・碑でしたが、(旧)亀甲ヤマト醤油醸造場を撮影するのに渡った橋でした。マップに紹介がないので、この橋に関する竣功年などはわたしにはわかりません。
(旧)亀甲ヤマト醤油醸造場を撮影するのに渡った橋でした。
西詰で石柱をみて御大典を記念して建てられたことはわかりました。
もともとの常磐橋は、(いまの付近地図を見てわたしが想像して)下地図に点線で記入しました。
戦後道路を整備するとき、旧常磐橋の位置ではなく、現在の位置にいまの常盤橋が架橋されたのだろうと思っていますが。
漢字の違いは、現在橋の建設時の役所担当者があまり考えずに命名したのではと思うのですがどうなのでしょうか。
17.05.28.裕・記編集

17.11.04.撮影
広島県呉市仁方桟橋通りと仁方錦町を結ぶ常盤橋

17.11.04.撮影
(1スパンの橋です)

17.11.04.撮影

17.11.04.撮影

17.11.04.撮影
橋名板:ときわはし 橋名板:常盤橋

17.11.04.撮影
(下流側に分離された歩道部があります)

17.11.04.撮影
(御大典石柱がガード沿いに建っています)

17.11.04.撮影
(コンクリート桁をみました)
 
(常盤橋西詰)御大典紀念・碑
常盤橋西詰北側に建立されている「御大典紀念」碑です。
残念ながら建立年月日、建立者は石柱からは刻まれた文字が擦り減ってわたしには読めません
これを見る前に「昭和御大典紀念でもある仁方中央標石」をみたので、
この石柱も(大正天皇ではなく)昭和天皇の御大典を祝ってのものではないかとわたしは思っていますが。
建立場所についてですが、
いまの常盤橋が架橋された時に移されたのではないかと思います。
もともとは旧・常磐橋の根際に建立されたものだったのではないかと(わたしは)考えています。
わたしの考えですので間違っているとも思いますので、ご存知の方のご教授をお願いいたします。指摘いただいたことは、この頁に反映したいと考えていますのでよろしくお願いいたします。

17.11.04.撮影
広島県呉市仁方錦町  (常盤橋西詰北側)

17.11.04.撮影

17.11.04.撮影

17.11.04.撮影

17.11.04.撮影
 



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