|
南区比治山公園の陸軍墓地の片隅に紀元2600年記念として建立されている「大和神社」碑です。 |
正面: |
大和神社 |
|
裏面: |
皇紀二千六百年記念 昭和十五年十一月十日建立
陸軍少將 原口真一謹書 |
昭和15年=1940年 |
台座: |
部隊(?)長 陸軍少佐■■義弘 建立委員長陸軍少佐松浦■■
委員中尉6名。少尉3名 |
|
|
皇紀2600年 |
1872(明治5)年に、神武天皇(大和の橿原宮で即位したという)即位の年(西暦紀元前660年)を皇紀元年としましたが、いまは普通用いられません。
1940(昭和15)年が「紀元2600年」にあたることから政府は、1935(昭和10)年「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、橿原神宮や皇族関係陵墓の整備など記念行事の計画・推進を進め、「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが時節により強められていたため、これらの行事はおしなべて神道色の強いものだったようです。 |
|
大和神社(おおやまとじんじゃ) |
奈良県天理市新泉町に鎮座。〈おやまと〉とも。旧官幣大社。倭大国魂大神(やまとのおおくにたまのおおかみ)、八千戈大神やちほこのおおかみ、御年大神(みとしのおおかみ)を祀る。
崇神天皇(すじんてんのう:第10代)の時、宮中から移してまつったと伝え、大和国の地主神として大和国造大倭氏が司祭した。
* |
1941(昭和16)年戦艦大和を竣工するにあたって、海軍は艦名を伏せて、縁のある画題で大和神社の分霊を祀りたいと奈良県へ発注し、それを受けて、奈良県が堂本印象(1891-1975)に依頼し制作された。「戦艦大和艦長室」に掲げられていたそうです。 |
|
|
2015年被爆70年原爆関連の慰霊碑を巡ったのです。ここ陸軍墓地に建立の原爆関連の慰霊碑「中国管区司令部殉職追悼之碑」をいままで後ろ側から撮影していなかったので、階段を上って撮影してから後ろをみた時に、ここで取り上げた「大和神社」碑に(わたしは)はじめて気が付いたのです。 |
裏参道ともいえる地にひっそりと建っていました。裏面をみて皇紀2600年記念として建立されたことがわかりましたが、陸軍関係者が建立したことから戦艦大和に祀ってあったという大和神社分霊とはかかわりがないことはわかりましたが、部隊長が少佐だった第五師団の部隊のことはわたしには調べることができませんでした。 |
16.12.13 裕・記編集 |