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廿日市市宮島町の厳島神社境内に鎮座している「天神社(厳島連歌屋天満宮)」です。 |
御祭神 菅原道真公 学問の神とされています。
1556(弘治2)年厳島の合戦で聖地を穢した事に心を痛めていた毛利元就(1497-1571)の指示で、毛利隆元(1523-1563)が建立。
国の重要文化財。明治32(1899)年4月5日、昭和38(1963)年12月26日(宮殿・棟札1枚追加指定)
明治中頃までここを舞台に連歌の会が催されていた事から、「連歌堂」または「厳島連歌屋天満宮」とも呼ばれるそうです。
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本殿: |
桁行三間、梁間三間、一重・入母屋造・妻入・背面庇付 檜皮葺 |
宮殿; |
一間社流見世棚造 檜皮葺 |
渡廊: |
桁行四間、梁間一間、一重・切妻造 檜皮葺 |
丹塗(にぬり)の建物群の中で素木(しらき)造の繊細な木割をもつ住宅風建築で、また、この建物だけが板壁でなく漆喰壁であることからも、この時代の住宅風工法の影響を受けたと思われます。
室町時代(1333-1572)に盛行した連歌会所(かいしょ)の遺構としても珍しいものです。 |
※解説資料は、広島県教育委員会の資料を参考にしました |
菅原道真 (すがわらのみちざね:845-903) |
平安前期の学者・政治家。是善の子。菅公(かんこう)・菅丞相(しようじよう)と称される。
宇多・醍醐両天皇に重用され、文章博士・蔵人頭などを歴任、右大臣に至る。この間894(寛平6)年遣唐大使に任命されたが建議して廃止。
901(延喜元)年藤原時平(871-909)の讒訴(ざんそ)で大宰権帥に左遷、翌々(延喜3)年配所で没した。性謹厳にして至誠、漢詩・和歌・書をよくし、没後学問の神天満天神としてまつられた。
「類聚国史」を編し、「三代実録」の編纂参与。詩文集「菅家文草」「菅家後集」 |
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厳島神社(本社本殿)にお参りしても、境内社には目を向けることもまれでしたが、今(2007年)回、大国神社南の縁を通って参拝できまますので、天神社にも立ち寄りお参りし、撮影してこの頁を編集しました。 |
2015年にも撮影していましたので画像を加えこの頁を更新しました。
2021年コロナ禍で、ここ厳島神社を参拝する人もほんのわずかの中で久しぶりに参拝した天神社も撮影しました。 |
22.06.12.更新 07.10.22裕・記編集 |