(いつくしまじんじゃ まっしゃ) あらえびすじんじ
(厳島神社 末社)荒胡子神社

  廿日市市宮島町大町に鎮座している「荒胡子神社」です。
※もともと大願寺の子院・金剛院の鎮守でその建物の内にありました。
御祭神:素戔鳴尊、事代主神  例祭:11月20日
御由緒:
仁安3(1168)年の古文書に江比須(えびす)とあるがこの神社の前身と思われます。
現在の本殿は嘉吉元(1441)年再建されたものであります。

本殿・附棟札1枚(嘉吉元年十一月九日) 国指定重要文化財 
1904(明治37)年2月18日指定、1963(昭和38)年12月26日(棟札1枚追加指定)
本殿は美しい小建築で、棟札には室町時代1441(嘉吉元)年に島田三郎左衛門尉宗が造立した旨が記されています。
室町時代(15世紀前半)造立の例として、和様と禅宗様が混交しており、その中でも破風の曲線、扉口上の蟇股の股内彫刻絵様が左右対照をわずかに中心でくずしたところ、向拝の丸柱と遊離した手挾(たばさみ)の工法等にこの建物を特色づける手法が見られます。
本殿は、一間社流造り、前面繁垂木、背面疎垂木、千木鰹木を置いた桧皮葺、朱漆塗り、破風下両側面に極彩色の火焔宝珠を唐草で包んだものを入れた蛙股がある。たばさみは垂木より遊離した珍しい手法で枕がありません。
1443(喜吉3)年建造。
もと大願寺の子院・金剛院の鎮守でその建物の内にありました。
金剛院(の天井は黒塗りの格天井であった)は明治のはじめ学校「勒心舎(ろくしんしゃ)」に使用後に解体され、御社殿だけが残されました。拝殿は、本瓦葺板間で腰羽目附きでしたが、1919(大正8)年に土間に改造されましたが、いまは板間となっています。
※解説資料は、広島県教育委員会の資料と厳島神社社務所発行「伊都岐嶋」を参考にしました
交流ウォーク探検隊の時、厳島神社をはじめとして宮島の神社には千木、鰹木がありませんが、その千木、鰹木がある神社が一社あることを教わったのです。
その一社が荒胡子神社が答えの神社だったのです。
教育委員会の資料と厳島神社の資料を掲載したのは建造時期が違っていた為わたしには判断できませんでしたので2資料とも掲載しました。
「極彩色の火焔宝珠を唐草で包んだものを入れた蟇股がある」と資料にありましたが撮影していませんでしたので、今(2008)年初詣に行った時に撮影しましたが、柵があり、片方しか見ることができませんでした。
2021年コロナ禍の中閑散とした宮島でした。久しぶりに参拝し、その後撮影しました。
22.02.11.更新  07.12.30裕・記編集

07.12.15撮影
広島県廿日市市宮島町大町

07.12.15撮影
拝殿から本殿をみる

07.11.03撮影

07.12.15撮影
拝殿から本殿をみました

07.11.03撮影
本殿をみました

07.12.15撮影

07.12.15撮影

08.01.02撮影
解説にあった「極彩色の火焔宝珠を唐草で包んだものを入れた蟇股がある」

21.01.22.撮影
変わらぬ佇まいの荒胡子神社でした

21.01.22.撮影
(拝殿から本殿をみました)

21.01.22.撮影



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