|
廿日市市宮島町南大西町に建立されている「(厳島神社)多宝塔」です。
※もともと多宝院というお寺があり、多宝塔はそのお寺の附属(建物)でしたが廃寺のあと縷々あり、
明治の神仏分離令で「宝山神社」と称した時期もあったようで、現在では厳島神社が管理。 |
(宮島の)多宝塔は、大永3(1523)年建立 総高は15.46m。
昔は、塔内に須弥壇を設け本尊薬師如来が安置されていました。
現在本尊は大願寺に移されております。ここ多宝ヶ岡には昔「多宝院」というお寺があり、多宝塔はそのお寺の附属(建物)でした。 |
 |
重要文化財:明治34(1901)年8月2日指定、1963(昭和38)年12月26日(棟札2枚追加指定) |
|
この塔はほぼ純和様を基調としており、戦国時代の1523(大永3)年僧侶「周歓(しゅうかん)」が創建したと伝えられています。
重層で屋根は上下とも方形ですが、下層方形の屋根の上にまんじゅう形の亀腹(かめばら)があり、それにつれて上層は柱が円形で配列されています。
軸部まわりの組物まで円形で、それから上の大仏様の組物手先は放射状に配され、軒桁で方形に取り合わせています。 多宝塔は印度における仏の墳墓であるスツーバ(卒塔婆)から発した塔の一形式で、この塔を特色づける亀腹は墳丘の名残りです。 |
※上記解説資料は、広島県教育委員会などの資料を参考にしました |
(たほうとう)
多宝塔: |
仏塔の一形式。本来は多宝如来を安置する塔をさす。
日本では上層を円形、下層を方形とした塔身の二重塔をいい、下層屋根上の亀腹(かめばら)が特徴。現存最古の例として鎌倉時代初頭の石山寺のものがある。 |
|
厳島神社の出口から左前の宝物館の上に見えるのがこの多宝塔です。いままでよくみていなかった多宝塔、交流ウォークで訪ねた今(2007年)回はじめてゆっくりと拝見し撮影しました。
2018年のいまになりましたが、掲載画像を見直すなどこの頁を更新しました。 |
18.10.30.更新 08.01.14裕・記編集 |