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(現在の)東広島市西条中央にある「三ツ城古墳(みつじょうこふん)」です。 |
史跡三ッ城古墳は、丘陵を利用して造られた三基の古墳からなる古墳群です。
1951(昭和26)年に最初の発掘調査が行われ1982(昭和57)年6月3日に国の史跡に指定され、2001(平成13)年1月29日追加指定されています。 |
第1号古墳は、鍵穴の形をした全長≒92m(後円部径62m、高さ13m、前方部幅≒66m、高さ11m)の前方後円墳で、左右にくびれた部分に祭壇と考えられる造出(つくりだし)があります。広島県内では最大の古墳です。墳丘は3段に築かれ斜面は葺石※で覆われています。それぞれの段には、円筒埴輪や家形・短甲・鶏などの埴輪が約1800本立て並べられています。墳丘の周囲には古墳と外部を隔てる為の溝があり、西側の造出からは溝を渡る為の陸橋(通路)と、造出に登る為の道が見つかっています。
後円墳の頂上に三基の埋葬施設があります。二基は内側の箱形石棺を石槨※が包み込んだ二重構造となったものと箱形石棺が一基設けられています。葬られた人は古墳の規模から安芸の地域をまとめていた大豪族と思われます。 |
第2号古墳は、お椀を伏せた形の円墳で、埋葬施設は箱形石棺と考えられていますが多くの石がなくなっています。斜面には葺石がありますが、埴輪はありません。鉄の鏃(やじり)5本などの出土があったそうです。 |
第3号古墳は楕円形の古墳です。尾根と第2号古墳とを分ける溝の中に造られています、墳丘の中央には箱形石棺(長さ≒1.5m、頭部幅50cm〜足部幅20cm、深さ≒30cm)が一基あります。副葬品は発掘時はなかったそうです。 |
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TUMULUS tu・mu・lus [t(j):mjuls] n. 古墳 |
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葺石(ふきいし):
三ツ城古墳では封土の流出を防ぐ目的と荘厳さを増すためか、墳丘斜面を礫で覆っています。この礫を葺石と呼び、拳大から人頭大の石が用いられました。古墳は築造当時幾何学的で人工的形態で、表面は葺石で覆われ遠くからでも一目で墳墓であることが識別でき、見る人に被葬者の偉大さの誇示と威圧感を与えたと思われます。 |
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石棺(せっかん):
石でつくったひつぎ。日本では主に古墳時代に使用された。 |
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石槨(せっかく):
石材でつくった棺(ひつぎ)や副葬品を納める室。
中国東北部の古代の墓に見られ、ここ三ツ城古墳にもある。 |
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設置の説明板を読んだだけでもこの三ツ城古墳の成り立ちがよくわかるものでした。
しかし、古墳の保存についての知識は皆無といっていいわたしですが、この古墳が造られた当時を復元し、埋葬施設の石棺をカプセルの中で保存するなどの方法には、この三ツ城古墳をみて歩きながら何か違っているのではという違和感を憶えました。 |
資料は公園に設置の説明板を参考にしました |
06.06.23 裕・記編集 |
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