(増輝山)浄西寺

  中区住吉町に建てられている「増輝山玄風院・浄西寺」です。
浄西寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
お寺の資料によると
安芸守護職武田氏の菩提寺として、佐西郡筒瀬(現在安佐北区筒瀬)に創立。
武田氏滅亡
*1の折り、一時廃寺となりましたが応仁の乱(1467-1477)の砌、京都より下野した公家の重竹惣之助が真言宗寺院として再興しました。石山合戦の時、毛利氏が本願寺を支援した縁により浄土真宗に改宗しました。
福島正則(1561-1624)により寺町に寺地
*2を賜りました。終戦後、現在地に全面移転して現在に至っています。』とあります。
現在の本堂は、1981(昭和56)年12月竣工したことが定礎板でわかりました。
*1 1541(天文10)年6月に大内氏の命を受けた毛利元就(1497-1571)によって武田氏居城・銀山城は落城し滅亡しました。
*2 時代は下りますが、知新集に元禄のころの寺町の寺院の配置図も掲載されていますが、浄西寺の寺名は(わたしの見落としかもしれませんが)見られないようです。
この浄西寺の北側≒150mの住吉神社辺りまではよく来たのですが、2005年このお寺辺りまでは足を伸ばしませんでしたので地図で確認して訪ねたのです。
被爆したイチョウを撮影して頁を編集しました。
お寺の縁起がわからず、お寺の頁は編集してなかったのですが、2014年になりお寺の資料でわかりましたのでこの頁を編集しました。
18.08.14.更新  14.09.15.裕・記編集

06.09.11.撮影
広島市中区住吉町15-22 

05.12.06.撮影

09.12.21.撮影
親鸞聖人(1173-1262)像


18.04.12.撮影
2018年被爆樹を訪ねましたのでお寺と道路の関連がわかればと撮影しました



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(増輝山)浄西寺
(浄西寺)被爆したイチョウ


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