歩兵第十一聯隊跡・碑

  中区基町のRCC中国放送南側・広島城お堀緑地帯に建立されている「歩兵第十一聯隊跡」碑です。
     歩兵第11聯隊略歴      (1945年の出来事は碑に刻まれていません)
1873 明治6年 第五軍広島鎮台と改称、第二八大隊創設
1875 明治8年 (昇格して)歩兵第十一連隊となる
1882 明治15年 朝鮮半島で起きた‘任午(にんご)事変’に2個中隊を出動させる
1886 明治19年 広島鎮台、第五師団・司令部に強化さる(以後第十一連隊は基幹部隊として行動して行く)
1894 明治27年 (日清戦争二ヶ月前に)朝鮮半島に出動
以後(明治期)北清事変、日露戦争(大正期)シベリア出兵(昭和期)支那事変など干渉・侵略戦争のたびに派兵されて行った。
1941 昭和16年 軍政改革で歩兵第十一連隊は‘歩兵第一補充隊’と改称・再編され、
以後マレーシア作戦※に参戦すると共に南太平洋諸島に転戦
※原爆記を残したおじさんはこの作戦に参戦し負傷しました
1945 昭和20年 8月転進中に敗戦。
転進中に橘丸事件(米軍に臨検・拿捕で)無傷でそっくり捕虜になる。
歩兵第十一連隊門柱は、被爆した構築物です。
爆心地から≒870m  (被爆当時の町名も基町でした)
明治時代大本営が置かれたてからは軍都廣島の中心として原爆投下目標都市となった事は周知のことですが、歩兵第十一聯隊の事もその碑がここにある事をわたしは知りませんでした,。
原爆記の関連資料として撮影にでかけ、説明板を読んで1875(明治8)年歩兵第十一連隊となったことを知りました。
07.05.25更新   03.08.02. 裕・記編集

03.07.09.撮影
広島市中区基町21 (RCC中国放送南側・広島城お堀緑地帯)

03.07.09.撮影
碑 表面

03.07.17.撮影
碑 裏面、歩兵第11聯隊略歴・配置図

03.07.09.撮影
(被爆した)門柱の由来



「広島城附近」編


軍都・廣島関連施設戦跡」編




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     (歩兵第11連隊関連頁)
(基町の)歩兵第十一聯隊跡
         被爆した門柱
         歩兵第十一聨隊略歴
(陸軍墓地の)歩兵第十一聯隊・慰霊塔
昭和20(1945)年頃の聯隊位置圖


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