はだべっそう
羽田別荘

  中区舟入町に建てられている料亭の「羽田別荘」です。
羽田別荘は、1900(明治33)年羽田謙次郎氏により創業されました。
1945(昭和20)年8月6日原子爆弾により池と石組みを残し消失したそうで、
1948(昭和23年)頃から再建して行ったそうです。
(わたしは四季折々の情景が素晴らしいという日本庭園を見ながら料理をいただいたことはありません。)
おじさんの原爆記No11-1によると
『市中の(中学)一年生は西地方町方面に出たとの情報で堺町から西地方町を羽田別荘の辺まで捜したが何者も得られなかった』と記述があるので、原爆記の資料として、現在も営業している羽田別荘辺りを撮影に行きました。
広島原爆戦災誌によると、
『被爆当時羽田別荘は、「西部軍司令官官舎及び軍人集会所・宿泊所となっていた』と記述しています。
2001(平成13)年6月羽田別荘で藤田知事(在任:1993-2009)が開催した「意見交換会」で使った48万円余は高額で交際費とするのは、税金の無駄使いと訴えられたとの報道で、この羽田別荘の名が出ていました。
※結局藤田知事に支払いを求める判決(広島地裁で)が出て非を認めた形で自費で支払うようにしたと報道で知りました。
2011年舟入地区を、交流ウォーク探検隊で遊歩したのです。
その時羽田別荘の門が開いており犬の散歩をさせておられた羽田別荘の方に、ずうずうしく庭を拝見させていただきたいと声をかけたのです。
昼からの営業の準備中ですが御覧になって下さいと云って下さったので、庭を拝見させていただき、撮影出来ましたので、頁を再編集しました。
11.07.16再編集  03.05.23裕・記編集
 

03.05.23撮影
(現在表記表示) 広島市中区舟入町8-40

03.05.23撮影

03.05.23撮影

03.05.23撮影

11.03.05撮影

11.03.05撮影
(春にはチト早い庭でしたが)都会の喧騒を忘れさせるような空間でした

11.03.05撮影

11.03.05撮影

11.03.05撮影



「建物」編



広島ぶらり散歩へ
原爆関係資料一覧へ


原爆記へ


inserted by FC2 system