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中区基町の広島城跡の中・(SRC造+木造で再建されている)広島城天守閣東側に
天守閣再建時に発掘された築城当時の礎石が移設復元されています。
※礎石とは、建物の柱を乗せる土台の石のことです。
※現在の再建天守閣は、5層のうち4層までを鉄骨鉄筋コンクリート造で、5層部は木造で建設されました。 |
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設置の説明板によると、礎石について
ここに据え付けてある石は、昭和32~昭和33(1957~1958)年の天守再建に際して、もと天守閣柱下の礎石を掘り起こして原型のまま移したものです。
玉石排水溝の内側が天守台の大きさです。
一段低く据えてある石は今なお天守台の地下に埋もれている礎石の位置を示しています。
昭和44(1969)7月 広島市教育委員会 |
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礎石を移せたのは、
1945(昭和20)年8月6日原子爆弾によって失われた天守閣(爆心地から≒980m)を1957~1958(昭和32 ~昭和33) 年に再建する際には、木造天守にくらべてはるかに重い鉄筋コンクリート天守の重量が石垣にかからないよう、また、天守閣の重みで下の土が外に押し出されないよう、天守台内部をコンクリートで固め、その部分で全重量を支えるようになっていることから旧天守閣の礎石が残され、いま(天守閣東側一角)の位置に再現されています。 |
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2003年におじさんの原爆記関連の頁を編集するので広島城を訪ねた時には、ここで取り上げた「旧天守閣の礎石」を知らなかったわたしでした。
2013年広島城内を見学し、その時もらった広島城跡の案内図で、刻印がある石垣、この旧天守閣の礎石が残されていることを知りましたが、撮影をしていなかったので、2016年になりましたが春に撮影していましたが、撮影画像をPC操作時失敗し失いましたので、9月になり改めで撮影してこの頁を編集しました。 |