Ruins of Sakurano-ike Pond ※
桜の池跡

  中区基町の広島城跡の中に広島市に近代水道が引かれた記念として造られた「桜の池」でしたが、現在はその遺構として整備され残されています(管理上の問題からか、現在水は溜められていません)。
(公財)広島市文化財団の資料によると
『1898(明治31)年広島に水道が引かれたことを記念して作られた池でした。
当初は池に名称はなかったが、1925(大正14)年に「桜の池」と名付けられました。』とありました。
英語表「Ruin of Former Sakura Pond」とあり、設置の案内板と表記が違っていました。
東区牛田にある広島市水道資料館を見学した時、次のようなことを知りました。
『太田川の三角州上に形成された広島市は、井戸を掘っても塩分を含み、良質の飲料水を得ることが出来ず、太田川の水をそのまま飲用していたため、伝染病の流行の原因となっていました。
1894(明治27)年の日清戦争の勃発により、軍用水道の整備が急がれ、これに併せて市民水道も整備することになりました。
布設計画は、英国人技師W.K.バルトンが中心となって作成され、1898(明治31)年8月に、全国(横浜、函館、長崎、大阪に続き)5番目の近代水道として完成しました。』
1898(明治31)年3月7日水道給水規則制定(明治32年1月1日実施)
1898(明治31)年8月12日軍用水道並びに市民用水道布設工事完成
1898(明治31)年8月25日通水式(牛田浄水場での竣工式も兼ねていました)
2003年におじさんの原爆記関連の頁を編集するので広島城を訪ねた時には、ここで取り上げた「桜の池跡」のことを知らなかったわたしでした。
2013年広島城内を見学し、その時もらった広島城跡の案内図で、ここで取り上げた「桜の池」が遺構として残されていることを知りました。
2016年になりましたが春に撮影していましたが、撮影画像をPC操作時失敗し失いましたので、9月になり改めで訪ね、この桜の池跡をみながら持ってきた弁当を食べのんびりし、撮影して、この頁を編集しました。
広島市の水道は軍用水道として計画されたことを2007年(丁寧に*)見学した牛田の広島市水道資料館で知りましたので、この頁の参考になると思い記述しました。
*(昔、近くの牛田旭に住んでいましたがそれまで丁寧に見学したことがありませんでした)
16.09.29.裕・記編集

13.09.15.撮影
広島市中区基町21   広島城跡案内図を使用しています

13.09.15.撮影
(西側から桜の池跡をみました)

13.09.15.撮影
 (池に水はありません)

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影

13.09.15.撮影



「広島城附近」編



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