みくまり じんじゃ    
(府中町) 水分神社
  安芸郡府中町みくまりに鎮座している「水分神社」です。
祭神:天之水分神(あまのみくまりのかみ)
由緒:
(旧称)水別明神、水別若宮明神で(通称)みくばりさんは、榎川上流の杣原山にあり、鎌倉中期の田所文書「安芸国衙領注進状」に「水別社仁王講免三段、有富」や「水分社免五反」の記載がありその存在が確認できる。
三代実録に
『貞観元(859)年2月26日に授安芸国水分天神従五位下とあり、郡名が記されていませんがここ水分神社と思われます。
鎌倉時代には、八幡宮・総社・角振社などとともに国の年貢を納めなくてもいい免田が認められるなど、古い歴史をもつ神社です。水分には水配りの意味があり、府中地域の水の神として祀られた神社で、旱魃の時には雨乞いの祈祷がたびたび行われた』
という事が江戸時代の記録に残されているそうです。
なお、神武天皇東征の砌、安芸の埃宮滞在中に水を汲み取られた所と伝えられています。 
上記資料は神社横に設置されている説明板などを参考にしました。
日本の神道では、弥都波能売神(みずはのめのかみ)を水神・川の神として祀っている神社が多く、水分神社の名が付くものはほとんどがこの神が祭神であるそうです。
2001年水分峡に遊びに来た時、この神社をみて撮影して頁を編集していました。今(2011年)回HPを引越していますので、広島県神社誌をみて、祭神、由緒(の一部)を追記しました。
05.07.23更新    01.10.07裕・記編集

01.10.07.撮影






誰もいない小さな祠がある神社です
広島県安芸郡府中町みくまり3丁目

01.10.07.撮影

01.10.07.撮影
本殿:一間社流造、銅板葺(間口四尺、奥行五尺)
(そうしゃ)
総社:
府中町本町三丁目2番街区に平安時代の建立といわれた、総社があって府中北部の氏神社として春祭、秋祭、流鏑馬などでにぎわったが、安芸郡の地に造営されながら長くその所在がわからなくなっていた「多家神」をめぐって松崎八幡の氏子との争いが絶えず、明治7(1874)年松崎八幡とともに廃社とされ、多家神社に合祀されたそうです。
「そうじゃ」ともいい、惣社とも書く。一定の地域内に鎮座している神社の祭神を勧請(かんじょう)して、特定の一神社に合祀し、その地域の集約的な祭祀を行うものとされる神社。一郡、一郷の総社もあるが、一般的には一国の総社をいう。
一国の総社の成立はかならずしも明確ではないが、国司が班幣その他の祭祀にあずかる国内の主要な神社を巡拝するかわりに、便宜上、国府の近くに勧請・合祀して祭祀したものといわれ、平安中期ごろに発生したと考えられている。
角振社: 府中町本町三丁目8番街区の山王社は、角振社の末社で、天文年間(1532〜1554)に本社角振社殿が朽ち果てたことにより山王社に合祀され、そのまま山王社と称したと言われているそうです。
資料:府中町の資料、小学館版『日本大百科全書』ポケット版を参考にしました



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「(安芸郡)府中町」編



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