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安佐南区祇園の大下学園祗園高等学校に建立されている「大下学園動員学徒原爆犠牲者碑」です。
※当初、祇園高等学校に1954(昭和29)年建立されました。
※現在、経営が変わりAICJ中学・高等学校となっている校内の以前と同じ位置に建っています。 |
1945(昭和20)年8月6日祇園高等女学校の生徒は細工町(現在・大手町1丁目。爆心地から≒50m)の広島郵便局に動員中、被爆し全滅したそうです。 |
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動員学徒として原爆で亡くなった生徒83名と先生1名、その他在職、在学中の死没者も合祀されています。 |
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建立日:1954(昭和29)年9月22日 |
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1925 |
大正14年 |
祗園高等女学校として創立されました。 |
1948 |
昭和23年 |
学制改革で、大下学園祇園高等学校と改称。 |
2005 |
平成17年 |
大下学園祇園高校2006年度の生徒募集を停止。
大下学園の経営権を鴎州コーポレーションが承継。 |
2006 |
平成18年 |
祇園高等学校の敷地・設備を転用AICJ中学校開校。 |
2007 |
平成19年 |
AICJ高等学校開校。〔*Academy for the International Community in Japan〕
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原爆関連の慰霊碑を巡っているわたしは、2002年になってここ祗園高等学校を訪ね、この慰霊碑の前で頭を垂れ、そして撮影させていただきました。
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2005(平成17)年に鴎州コーポレーションに経営権が譲渡され、学校法人AICJ鴎州学園に改称されるとともに大下学園祇園高等学校は、AICJ鴎州学園AICJ中学校・高等学校に改組され、敷地校舎は同位置ですが新学園に生まれ変わっています。 |
ACJ中学校・高等学校に替わってから訪れた事がありませんでした。しかし、この動員学徒原爆犠牲者碑が撤去される事はないと思っていましたが、2008年に新学園を訪ねました。拝見して、いまでも大切に管理されているように思いました。 |
2015年久しぶりに訪ね事務室で撮影の許可をいただき撮影しました。
2002年初めて撮影した時は祇園高校の学園祭中でしたが、今(2015年)回は次の日からのAICJ学園学園祭の段取り中でした。 |
15.1102再編集 02.11.03 裕・記編集 |