せんしょうじ
専勝寺

  中区大手町に建てられている「法光山・専勝寺」です。
専勝寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
知新集
によると、
「毛利家の指揮にしたがい、高田郡吉田村に一宇建立したが、天正17(1589)年今の寺地に引移させられました。開基は惠徳院明惠(越後国・専稱寺の次男、慶安元・1648年遷化)です。』
資料をみていて被爆したものとして墓石と記載がありました。  
爆心地から≒220m     
被爆当時町名は塩屋町
専勝寺が建立されている1筋東側は宇品線・電車道(鯉城通り)で、北側2筋は(旧西国街道だった)本通商店街通り、いままで何度となく歩いた事もあるそんなところにあるお寺ですが、このお寺のことは資料をみるまで知らなかったのです。
お寺の敷地は、戦後(都市計画などで)狭くなったのではと思いました、現在地価は広島でも高額の場所と思われるこのお寺の墓苑には、被爆したとみてすぐわかる墓石も大切に供養されているように思いました。
 07.10.09裕・記編集

07.06.05.撮影
広島市中区大手町2-1-17

07.06.05.撮影

07.06.05.撮影
墓苑の中の(被爆した)墓石 明治廿一(1888)年三月九日
文化六(巳)巳(1809)年正月□日
文政十(丁)亥(1827)年六月廿四日
文政十三庚寅(1830)年二月廿九日
嘉永四辛亥(1851)年九月廿六日



広島の神社仏閣」編



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被爆した建物・構築物」編


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