(被爆した建物)浄修院
  西区己斐西町の浄修院の本堂、庫裏、宿泊所を被爆した建物としてこの頁では取り上げました。
浄修院は、浄土真宗木辺派に属しているお寺です。
                   被爆建物(A-bombed Building)
浄修院、本堂、庫裏、宿泊所は、昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐えその姿を今日に残しています。                              広島市
資料に被爆建物、竣工時期:1926(大正15)年、木造平屋で、谷間に位置する浄修院には、爆風が山を越えて吹き込み、屋根や建具などがはぎ取られたそうです。
爆心地から3,010m    被爆当時町名は己斐町でした
ここ浄修院を2008年訪ね頁編集していましたが、庫裏、宿泊所も被爆建物だというのに撮影していませんでした。
2010年に訪ね撮影していました。2012年のいまになりましたが、この頁「(被爆した建物)浄修院」を編集し、もとの頁は画像を追加して「浄修院(概説)」としました。
この頁を編集しら2012年2月でしたが、4月にも訪ねました。宿泊所を少し離れて撮影していました。撮影画像を整理している2015年のいまになり1枚ですが追加しました。
15.03.17.更新    12.02.26裕・記編集

08.09.08.撮影
広島市西区己斐西町2-16

08.09.08.撮影
本堂入口 と庫裏入口

10.04.06.撮影
庫裏

10.04.06.撮影

10.04.06.撮影
宿泊所

10.04.06.撮影

10.04.06.撮影

10.04.06.撮影

10.04.06.撮影

12.04.21.撮影
木造2階建ての宿泊所を少し離れて撮影しました



被爆した建物・構築物」編



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浄修院(概説)
  (被爆した建物)浄修院


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