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西区新庄町の太田川放水路の根際、新庄共同墓地の中に創建されている「天王延命地蔵尊」です。 |
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神武天皇東征の砌(みぎり)この地に足跡をのこされ天王山と伝へらる天王社の跡あり、八百年前いまの新庄町を桑原郷と云い厳島神社の社領也、この石碑は天保14(1843)年天王社に奉納されていたものと伝えられ、昭和52(1977)年再興しました。
天保14(1843)年村内の平安と長寿を祈り旧天王社境内に奉納されていたと伝えられこの度合祀しました。
(やたがらす)
八咫烏: |
1)記紀、風土記の所伝に見える烏。
神武天皇東征の途中、熊野から大和への道に迷った時に天上より派遣され、道案内をした烏。神皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の孫である鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身と伝えられ、奈良の八咫烏神社にまつられる。やたのからす。
2)中国の伝説で、太陽の中にいるという三本足の烏。[和名抄] |
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新庄子宝地蔵尊は、慶応年間新庄在住子供達の健やかな育成と家内安泰を祈願して建立されましたが、昭和29(1954)年太田川放水路改修工事により原田家に仮安置されていました。
その後、昭和52(1977)年6月4日世話人一同相計りこの地に再建しました。 |
交流ウォーク探検隊で祇園地区を遊歩する時、以前天王社があり、その跡に祠が建てられていると、会長が云われたので、ぜひ訪ねましょうとなったのです。
個人的には古事記を読んだことはありませんが、広島の地(安芸の地)に神武天皇東征途上の云い伝えがあることを少しづつ知ってきたところであり興味を持ちつつあるからです。 |
08.11.10裕・記編集 |