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安佐南区の専念寺前に1911(明治44)年建立された伴村忠魂碑です
※1955(昭和30)年になって西南戦争から大東亜戦争までの戦没者と原爆犠牲者を合祀する碑となっています。
※原爆関連犠牲者は少なくとも義勇隊、女子挺身隊、徴用工、動員学徒の方々48名だと(わたしは)思いました。 |
正面: |
忠魂碑
陸軍中将正四位勲一等功二級男爵 真鍋斌書 |
側面: |
明治十年西南戰役(1名)、明治二十七八戰役(7名)、明治三十七八戦役(17名) |
裏面: |
支那事變(17名) |
側面: |
明治四十四年十一月(建之) |
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台座銅板: |
戰病死歿者銘
西南の役(1名)、日清戦役(4名)、北清事変(2名)、日露戦役(18名)、支那事変(17名)、日支事変(7名)、大東亜戦争(45名)。
大東亜戦争(102名)昭和30(年3月合祀。伴村、伴村郷友会、伴村遺族会。
地域国民義勇隊(7名)、女子挺身隊(2名)、徴用工(2名)、動員学徒(6名)。
動員学徒(31名)。 |
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広島市の資料を見ていて、ここ専念寺に忠魂碑が建立されており戦後になって原爆で亡くなった方々も合祀されたことを知りましたので訪ねたのです。 |
事前に地図を見てアストラムライン伴中央駅の根際に創建されている専念寺だなと思っていました。それなのに伴中央駅(での出口を間違えて)高架駅から降りてしまいましたので、方向感覚の衰えを感じるわたし自身の出来事でしたのでこの忠魂碑とは関係しませんが記述しました。 |
15.11.15.裕・記編集 |